幻創文芸文庫 (β)

小説好きの創作小説を無料配信*スマホ対応

SF・ファンタジー・ホラー

幻幽綺譚<9> 陰膳(上)

   

 旅に出た人の安全を祈って、留守宅で供える食膳のことを陰膳といいます。
 旅? どこへ行ったのでしょう? まさか、幻幽の世界まで……。

 

 梅原洋一は、地下駐車場の〈院長専用〉と書かれた場所にベンツを停めた。
 エレベータに乗り、最上階のボタンを押す。
 途中止まることもなく、エレベータは軽快に最上階へ着いた。
 エレベータを降りる。
 この階全体が院長専用の空間なのであった。
 広い窓からは、朝の東京の景色が一面に広がっている。
「おはようございます」
 秘書の小峰多香子が挨拶をする。
 梅原洋一は、挨拶に答えながら、院長室へ入った。
『フルール・ビューティ・クリニック』の院長、というのが梅原洋一の肩書きである。
 女性のトータルな美容を手がける彼のクリニックは、全国に多くの支店をもつほどに繁盛していた。
 その本店が、銀座の、ここなのである。
 毎朝、院長室の大きな椅子に座り、秘書の入れる薫り高いコーヒーを飲んで、〈成功〉という二文字を、しみじみと噛みしめるのであった。
「今日の予定はどうなっている?」
 秘書は、手際よく予定を読み上げた。
「それと……、先ほどから、何度も電話が入っておりますが」
「誰から?」
「山本昭夫様、とおっしゃっておりましたが」
「ああ、あいつか」
 山本昭夫は、大学時代の友人である。
「何の用だって?」
「直接お話する、とのことでした」
「そうか、分かった」
 秘書が部屋を出ると、梅原洋一はパソコンのスイッチを入れた。
 電子メールの確認をしなければならない。
 ちょうどパソコンが立ち上がったとき、電話が鳴った。
 電話口から聞こえてきたのは、切羽詰まった感じの早口の声だった。
「梅原か、俺だ、俺。山本だよ」
「やあ、ひさしぶりだな。どうしている?」
「実はな、会って相談したいことがある。出られないか」
「今すぐか? 他ならないおまえの事だ、いいよ。どこで会う」
「成田まで来てくれ」
「成田? 旅へ出るのか」
「いいや、帰る所だ」
「え?」
「いま飛行機の中だ。さっき成田のホテルを予約した。あと一時間で成田へ着く。すぐにホテルへ入るから、そこへ来てくれないか」
「海外から帰って、そのままホテル?」
 家にも帰らないで、奥さんが心配するぞ、と言おうとして、梅原には事情が飲み込めた。
 心の中で笑いながら言った。
「分かった。ここからだと、この時間、二時間はかかるが、すぐ駆けつける。有馬には連絡しないでいいのか?」
「お前に会いたい。ホテルの名前は……」
 梅原は、秘書に午前中の予定をキャンセルするように伝えると、ベンツに乗り、成田を目指した。

 

-SF・ファンタジー・ホラー


コメントを残す

おすすめ作品