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提案

   2015年9月25日  

 日中業務をいつもよりも早く切り上げた飛由が店に駆けつけると、想像以上に全員が諒に手を焼いていた。
 そこで飛由は日中に仕事の経験をと持ち前の洞察力で諒とのかかわり方に、様々な提案を出していく。
 その的を射た提案に皆感心するばかりだった。

 そしてディナータイム開始直前、トイレに出向く大和の背を追い飛由もトイレに出向いて用を足し、最後に飛由から大和に最後の案を持ちかけるのだった。

 

 
 心治からランチタイムでの諒の様子と先ほどの和彩との軽いいざこざを聞いて、飛由は唸り声をあげた。
 腕組みをしてしばらく考え込み、すぐ隣に居るマスターに確認を取る。
「…諒さんって今までいろんな職場を次々クビになってたんですよね?」
 飛由の問いかけに、マスター頷いた。
「そのようですね。」
 諒のことに関しては工藤から度々話を聞いていたが、どれも断片的であって諒の経歴の詳細について話を聞いたことはない。
 ただその断片的な話の中で、諒の過去に触れた話はしていて、その時にどこの職場にも馴染めなかったということは聞いていた。
 マスターが知っている情報もたいしたものではなく、あくまで諒の過去のひとかけらにすぎないのだ。
 だがそれだけの情報でも、飛由には大きな収穫だった。

「僕からいくつか提案があります。」

 そう告げ、飛由はスタッフ達を呼び集めた。

 飛由からの提案は次のような内容である。
 ランチタイム時の指導係は、心治でなく大和で固定にしてほしいということ。
 理由としては、心治はランチタイムでピアノ演奏の依頼が入る可能性が非常に高いからだという。
 今の諒に必要なのは“心の安定”であり、そのためには極力変化の少ない業務内容をこなしているというのが絶対条件として浮上する。
 それを考慮すると、演奏をよく行う心治や和彩よりもランチタイムではほとんど演奏する機会がない大和に諒を任せた方が妥当だという。
 ランチタイム同様、ディナータイムは飛由が指導に入るのは必然的に決定である。
 そしてここでもう一つ提案が出た。
 それは指導係以外の人間は、諒に指示を出さないということ。
 心治の話を聞く限り、諒の中で指導係の人間の指示は絶対だが、それ以外の人間から指示を出されたら混乱して身動きが取れないと推測したのだ。
 身動きが取れなくなるのはスタッフ達も困るし、何より諒自身が混乱して精神的に追い詰められてしまう。
 それを避けるためにも、指示を出す人間を固定にすべきとのことである。
 それから、諒と視線が合った時は出来る限り優しく微笑みかけるということ。
 これには諒の中に根付いてしまった、職場の人間への警戒心を解く意図がある。
 ブライダルピアニストの職に就くまでの間職場を転々としていた理由が心治が先程のランチタイムで諒がやってしまったおっちょこちょいが多かれ少なかれ関与しているのならば、ここでミスをしてクビになるわけにはいかないという強い責任感とまたミスをしてしまってクビを切られるのではないかという不安感が強いのではないだろうかと飛由は言う。
 そこから来る警戒心を解くためにも、自分達は敵ではないのだと諒に微笑みかけてほしいとのこと。
 ほんの僅かな情報からこれほどまでの推測をし、スタッフ達に試験的とはいえ指示が出せる飛由の洞察力には敬服するほかない。
 いつも天然で不思議な雰囲気ばかり醸しているが、ここまで具体的な指示が出せるのは飛由以外では為し得ない業である。
「…さすがだな。」
 誰も声さえ出せずにただただ呆けていたが、明広の感嘆の声に全員頷かずにはいられない。
 このレストランの一番の古株である上、昼間しているもう一つの仕事の力を如何なく発揮している。
「僕も伊達にここで長く仕事をさせてもらってるわけじゃないですから。昼間保育士をしている経験が役に立ったみたいでよかったです。」
 そう言って飛由はにっこりと笑った。

 このレストランでの新人育成はスタッフが行う訳だが、その指揮を行うのが飛由である。
 外見からは想像がつかない鋭い洞察眼で、相手の一瞬の行動や表情から心理状態を読み取ることが出来る力を持っている。
 それに加えて日中保育士として働いているから、ここよりも格段に多くの人間と密なかかわりを持っている。
 子ども相手とは言っても、相手は人間。
 個性を生かしながら一人一人にふさわしい関わり方をして、その子に合った方法で人間的な魅力を伸ばし、物の善悪を教えなければならない。
 それに加えて子どもの保護者も相手にしなければならないから、一般的な人が思い描いている子どもと遊んで楽しそうな保育士というのは幻想でしかないのかもしれない。
 人間関係にかなりシビアな保育現場に出るようになって、飛由の思考回路は格段に幅を広げた。
 音楽に没頭し主に楽器を相手に日々を送ってきた人間に欠けがちで尚且苦手とする人間が多い人間関係のあれそれに精通している飛由の存在は、このレストランではとても大きな存在と言っても過言ではないかもしれない。
「了解! じゃあランチは俺が諒の指導に入るようにするからな!」
 飛由の提案に大和は快く賛同した。
 大和の笑顔を見て、飛由も嬉しそうにニコリと微笑み大和に続いて残りの推測を述べる。
「諒さんはきっとここに慣れるまでにかなりの時間がかかります。それまでは落ち着きに欠けるだろうけど、それは仕方ないんだって割り切って大らかな心と長い目で見る必要がありかなと思います。怒鳴ったり、心のどこかで苛立ったりするのはタブーです。おそらく諒さんは今までの経験上、相手の怒りや苛立ちに対してかなり鋭敏な神経を養ってるような気がします。」
 ここまでなると、もう飛由に頭が上がらない。
 諒が特異な事もあるが、それにこんなにも早く順応してしまう飛由の器に唖然とするほかない。
「ランチでは業務内容を教えることよりも、諒さんの心の安定を優先してください。業務指導は、僕が責任を持って行います。」
 頼もしいが、こうまでなると飛由に全権を委ねる他ない。
「わかった。何かあったらその都度何でも指示を出してくれ。」
 大和の意見に全員が頷いた。

 

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