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歴史・時代

李白、渓谷にて桃の精と戯れる

   

 うららかな春の日。渓谷でのんびりと昼寝をしていた旅の青年の前に、桃色の装束を来た若い娘が現れる。「私は桃の精。あなた様としばし戯れてみたいのです……」若者は悪戯っぽく答えた。「では、面白き趣向はいかがですかな?」

 中国史上最高の天才と謳われた放浪の詩人、李白の若き日を描くファンタジー。ふんわりとしたイメージにしばし浸ってください。すべての年代の方にお読みいただけます。

 

 チチ、とさえずりながら枝を渡っていた小鳥たちが、急に空へと飛び立っていった。
 岩に腰掛け、ぼんやりとうららかな陽を浴びていた青年が、自分の後背に気配を感じて振り向く。

「もし……」

 一瞬、そこに花が咲き誇っているような幻覚を覚えた。よく見るとそれは花にあらず、若い娘であった。

 朱に白を混ぜ込んだ桃色の装束を、谷を渡る風にふわりとなびかせている。
 雅な仕草で小首をかしげ、微笑んでいるその顔は、人形のように白く美しかった。眉も唇も細い。

「ほう」
 青年は驚くふうもなく、突然現れた娘に白い歯を見せた。
「こんな山間の渓谷で、うら若き美女と出会えるとは。いや、幸い至極」

「おくつろぎのところ、お邪魔をして申し訳ございません。ついお声を掛けてしまいました」
 若い女は優雅に頭を垂れた。
「このような人里離れた渓流にて、立派な殿方がぼんやりしておりましたゆえ、興味を覚えまして」

 言われて、彼は自分のいでたちを見下ろした。
 故郷を出て何千里と歩むうち、埃にまみれた服。身の回りの物を詰めた袋も粗末である。

「はは。暇を持て余した輩に見えましたかな」
 青年は快活に笑った。
 ボロを着ていても、その笑顔は溌剌としている。どこか悪戯坊主のような瞳をしていた。

「私はごらんの通り旅の者です。諸国を漫遊して詩などを書いております」
「詩を……?」
「ええ。今日はとてもうららかな日和だったので、せせらぎに誘われ、この谷まで来てしまいました」

 二人がいるこの場所は、里から分け入った、さらさらと清流が流れる山紫水明の地である。
 ときは早春。木々に緑が芽吹き始めている。

「この辺りは初めて来ましたが、とても美しく、明るい気に満ちているように思えます」
 娘は頷いた。
「それはそれは。旅のお方にそうおっしゃっていただけると、この地に住む者としてはうれしい限りです」

 青年は意味ありげな瞳を娘に向けた。
「それで、あなたは?」
「え?」
 娘が小首を傾げ、つややかな髪が揺れる。

 男はさらりと訊いた。
「物の怪(もののけ)か、あるいは天女か、いったいどちらです?」

 

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