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ノンジャンル

舟歌

   2015年10月13日  

 男性客からの提案でピアノを弾くことになった諒。
 曲目選択を全面的に男性客に任せるというとんだ恐ろしいことをやってのけて、男性客が諒に持ち掛けた曲はショパンの舟歌かドビュッシーの喜びの島だった。
 諒が選んだのは舟歌。
 ショパンの有名かつ難しい大曲であるそれを、諒は独特の音色で歌い上げるのだった。

 

 
 あまりにも唐突すぎる展開にさすがの飛由も口を挟む隙がないまま、諒とカップルの話がトントン拍子に進んでいく。
 今までのしゃべり下手と自信のなさが嘘のように、諒はスムーズに話を展開している。
 話し合いの最中、男性客は諒に問いかけた。
「僕はショパンもドビュッシーも好きだけど、お兄さんはどっちが好きですか?」
 それに対して、諒は僅かに小首をかしげた。
「僕はどちらも好きだし弾けるので、お客様のご希望する曲を教えてください。」
 諒自身は平気な顔をしているが、言っていることはとんでもなく恐ろしいことである。
 ショパンもドビュッシーも相当数のピアノ曲を作曲している。
 小品集、ワルツ、ノクターン等々上げだしたらキリがない。
 そしてどれも一筋縄ではいかない曲ばかりで、中には難曲と呼ばれる曲も多数含まれている。
 選曲時は弾き手が自分の手持ち曲を複数上げ、その中から聴き手が選択するのがひとまずの選曲時に置かるセオリーである。
 少なくとも飛由が立ち会った選曲の場面では、心治も和彩も大和もそうしていた。
 場合によっては、演奏者がこの曲を聴くと決めてしまうこともある。
 それも珍しくないほど、選曲というのは難しいのだ。
 しかし今の諒は、曲の選択権の大半を聴き手に託してしまっている。
 これは一体どういうことなのだろうかと、飛由は諒のやっていることが全く理解できない状態にある。
 すると男性客は少し意地悪な顔をして、諒に頭に浮かんだ曲を持ちかけることにした。
「じゃあ、ドビュッシーの喜びの島か、ショパンの舟歌のどっちかって言ったらどうしますか?」
 彼が今あげた二曲は、どちらも大曲である。
 今この場で弾けと言われても、弾ける代物ではない。
 どんな偉大なピアニストであろうともいきなり弾けるわけはなく、しっかりとした練習時間を確保しなければ弾きこなせはしいない。
──さあ、どう出ますか。お兄さん。
 男性客は諒の様子をうかがいながら、腹の底でその回答を心待ちにしている。
「そうですね…。僕は喜びの島という曲を知らないので、申し訳ございませんが舟歌でもよろしいでしょうか?」
 申し訳なさそうに諒は男性客に問いかけた。
 諒のそれに、男性客は若干困ったように後ろ頭をかく。
「あ…、はい。…わかりました。」
 諒を困らせたかったのだが、困るどころかすんなり選曲してしまった。
 それもそうだが、ドビュッシーの喜びの島を知らないと言ったことにも、違和感を感じる。
 喜びの島は確かに一般的に知られている曲とは言い難い。
 しかしクラシックを専門的に勉強していれば、おのずと耳にする機会もあるはず。
 弾けない言い訳をしているといった様子は、諒からは全く感じない。
 本当に知らないのだろうが、まさか知らないという返答が来るとは思いもしていなかった。
「それでは和彩さんの演奏の後に、ショパンの舟歌を弾かせて頂きます。」
 そう言い、諒は初めて来客に対してニコリと微笑みかけた。
 喜びの島を知らないといったことにも驚いたが、ショパンの舟歌を選曲するのになんの不安も見せなかったことのほうに、カップルは驚いているようだった。

 

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