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ノンジャンル

選曲

   2015年10月20日  

 レストラン勤務の初日にして演奏依頼を受けた諒。
 曲目決定の手助けをするべく、依頼人と諒の話し合いの仲介に入る飛由。
 話を聞くと、花本と同席している野咲の母親の誕生日ディナーのときの演奏をしてほしいというところまではすんなり話が進んだ。
 しかしその選曲をするにあたっての話に差し掛かって、野咲から話を聞くも訳の分からない回答しか返ってこない。
 結局諒は、選曲を請け負うことになったのだった。

 

 
 レストラン業に就いて、仕事に就いた初日に演奏依頼を受けた人間はマスターの記憶の中では諒が初めてである。
 ここから先は諒が話を進めていくには無理があるから、それとなく飛由が依頼人に話を持ち掛けた。
「ここから先の話し合いは、僕も立ち会わせていただいても差し障りありませんか? 小野寺は今日初めて業務に入った新人で、会話の進行がスムーズにはできません。ですので、僕が進行役となって曲目の決定をさせていただいてもいいでしょうか?」
 飛由が話に加わったことで、諒の表情が安堵に満ちていく。
 諒の表情はわかりやすく、そしてあからさまに変わる。
 それを見ていた和彩は、口元に手を添えて小さく笑う。
 子どもたちといるときの父親の顔、いつも張り付いている不安げな表情。
 それから覗く安堵の表情は、とても幼く見える。
 今がまさにそうだ。
 飛由の隣で安心している諒は、まさか二人の子持ちで年齢も二十三歳には見えない。
 実年齢を素直に言ったところで、誰も信じないだろう。
 それほどまでに諒の表情はあどけなく、その表情の豊かさに和彩は思わず笑みをこぼしたのだった。

 飛由は依頼人と諒の仲介に入り話を進めるにあたり、立ち話をする訳にはいかないので依頼人をカウンターの空き席に誘導することにした。
 というのも、飛由はピアノのことがよくわからない。
 専門的な話のなるとお手上げになってしまうから、カウンターで話をすることにしたのだ。
 カウンターにはマスターが常駐している。
 なにかあれば助けてくれるし、場合によっては心治も交えての話になるやも知れない。
 何があっても大丈夫な場所が、カウンターなのだ。
「どうぞ、おかけください。」
 カウンターの最奥の空き席を二人に勧め、飛由は諒を連れてカウンターへと入った。
 最奥ならば全く動かなくてもあまり邪魔にはならない。
 二人が席に座るのを確認して、カウンター越しに依頼人と視線を合わせて飛由はニコリと微笑み本題を切り出した。
「では改めて自己紹介をさせていただきます。日頃よりレストランピアノフォルテを御贔屓にしていただき、ありがとうございます。今回は演奏者が新人のため、僕が仲介役をさせていただきます。坂下飛由です。よろしくお願いします。」
 一通りの自己紹介を済ませ、朗らかな笑みを依頼人に向けて会釈をし、諒に自己紹介をするよう目で促す。
 いくらなんでもこの場の空気は読めるが、自己紹介で何を言えばいいかと戸惑いながら諒は見切り発車の自己紹介を始めた。
「は、初めまして。この度のご指名、誠に有難うございます。全力で努力していく所存でございます。新人の小野寺諒です。どうぞ宜しくお願い致します。」
 若干日本語が危ういが、それもご愛嬌としてもらおう。
 依頼人は顔を見合わせ柔らかく微笑み、男性客から自己紹介を始めた。
「今回演奏依頼をさせてもらいました、花本雄也です。小野寺さんのピアノ、とても素敵でした。依頼する曲も素敵な仕上がりにしてくださるとうれしいです。よろしくお願いします。」
 外見は三十代前半で、さわやかな雰囲気の花本。
 諒にニコリと笑い、隣の女性に自己紹介を促す。
 彼女は花本と視線を通わせ、微笑んで自己紹介を始めた。
「野咲里美と申します。よろしくお願いします。」
 小柄で花本よりも若干年下に見える野咲。
 彼女も優しく諒に微笑みかけて会釈をした。
 自己紹介が終わり、一呼吸おいて話が本題に入る。
「では、ご依頼曲と演奏日程をお伺いしていきたいと思います。日程や時間帯に先に予約が入っていた場合はや、曲に難易度等で少し日程がずれることがありますので予めご了承ください。」
 ゆっくりとした語り口調の飛由。
 手慣れた様子で話をサクサクと進めていく。
 自分と一つしか年が違わないのに、飛由のたくましさに諒はただただ感心するばかりである。
 飛由からの説明を聞いて、花本は諒に詳細事項を話し出した。
「今回は彼女の母親の誕生日に演奏を頼みたいと思っています。小野寺さんのおすすめの曲はありますか?」
 いきなりおすすめ曲をと言われて、諒は言葉に詰まった。
 助けに入りたいが、飛由のピアノに対する知識は底が知れているから、妙な口出しはしない方が賢明である。
 ──がんばれ、諒さん!
 心の中で、ささやかな応援をする外ない。
 諒は諒で、花本からのキラーパスにどう対応していいのかわからずにいる。
 とりあえず曲調を絞らなければ、選曲そのものができない。
「えっと、ですね…。どのような雰囲気の曲がお望みですか? ゆったりしっとりしたノクターンとか、華やかなワルツとか。曲調のご指定をして頂けた方が、選曲しやすいのですが可能ならば教えて頂けますか?」
 手持ち曲の提案以前に、依頼人の好みの曲もある。
 漠然的にお勧めなんて聞かれたところで、諒の頭には何もひらめかなかった。
 諒の質問に対して野咲が口を開いた。
「母はとても優しい人です。華道の先生をしていて、なんでもてきぱきとこなしてくれます。」
 正直な話、野咲が何のことを言っているのか飛由も諒も訳が分からなかった。
 質問の答えになっていない。
 今ほしいのは野咲の母親の人物像ではなく、ピアノの好みの曲の情報なのだ。
 これでは話が進まないと、飛由は脳をフル回転させてどう話を持って行こうかと策を練る。
 ここで花本が野咲に話の的が大いにずれていると指摘してくれれば話は早いが、花本の鼻の下は伸ばしきっていて野咲を見つめているから使い物にならない。
「お好きな作曲家はいますか?」
 遠回しに話したのが悪かったのかと、諒は単刀直入に野咲に話を持ち掛けた。
 せめて作曲家の指定ができれば、話が少しは前進する。
「うーん、私そういうのは詳しくないから、母の雰囲気に合った曲をお願いします。」
 悪意がないのは野咲の顔を見ればわかるが、あまりにもアバウトすぎるそれに諒は返す言葉を失った。

 

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