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変化、成長

   2015年11月18日  

 諒との練習会を終えて帰宅した心治。
 家にいた大和と和彩は、もちろんあるであろう次回の練習日程を聞いたが心治から返ってきた言葉に二人はただただ驚くばかりだった。
 たった一日で曲をとらえたという心治。
 それが信じられない大和と和彩。
 心治にあれこれ言ってみても、心治からの答えは揺るぎないものだった。

 演奏の約束の日が近づいていたある日、諒は急きょ厨房に入ることになった。
 そこで思いがけずスムーズに仕事をこなし、コックの明広はホールスタッフの前で諒を盛大に褒めた。
 その日を境に諒は少しずつ変わり始めた。
 最初はただただ怯えていた諒だが、少しづつ笑顔を見せ始め、自信を持ち始めたのだった。

 

 
 夕方。
 諒との練習を終えた心治は、夕食の買い物をして自宅マンションに帰宅した。
 ドアの鍵は開いていて、リビングに入れば大和と和彩が二人並んでぼんやりとテレビを眺めている。
 毎週末心治の家で飲んだ時は、夕方には二人が覚醒して昨晩の酒の飲み残しをちまちま飲んでいたりする。
 いつも通りといえばそうだが、いい年の大人が色気もなくこんな風に他人の家に溜まりこむのは如何なものかと、心治は内心ため息をつく。
 そんな心治の気持ちなんて知る由もなく、大和が帰宅した心治に一目散に飛びついた。
 日曜の夕方なんて、そんなに面白いテレビ番組はやっていない。
 退屈していたところに都合よく心治が帰宅したのだ。
 飛びつかない理由はない。
「おかえりなさい! どうでしたか?」
 リビングに入った心治に大和はいきなり質問をぶつける。
 いつも敬語と話し言葉が入り混じっているくせに、こんな時ばかりそれなりの敬語を使うあたり大和らしい。
 心治は笑いそうになるのを意地でねじ伏せ、澄まし顔のまま冷蔵庫に買ってきた食材を入れていく。
「申し分ない。あとは微調整と毎日の丁寧な練習を積んでいけば、本番は問題ない。」
 野次馬めと内心悪態をつくが、心治はそれを口に出す気はさらさらない。
 言っても何も変わらないと分かっているから、言うだけ無駄と分かっている。
 無駄なことはしないというのが、心治の心情である。
「今日だけの練習会でその高評価は、心治君にしては珍しいじゃない。最初から諒君の腕を相当買ってるようだけど、次の練習会はいつなの?」
 テレビを眺めていたはずの和彩まで、心治のいるキッチンへとやってきた。
 物事をすべて公平に見て特別扱いを嫌う心治が、諒には妙に肩入れしているのが和彩の中ではどうしても引っかかっていた。
 和彩も心治同様に全員を公平な目で見て、接してきている。
 プライベートならそれは多少崩れはしているが、仕事ではそれを絶対守ってきていた。
 和彩も心治もそれは鉄壁を誇っていて、相手の年齢性別を超え“人間”として相手に接する。
 それに加え、和彩は白黒はっきりつける性分。
 だからだろうか、長い付き合いの心治でさえ和彩の浮いた話は聞いたことがない。
 和彩の強靭なメンタルと毒舌と男前さについていけるような男はそういない。
 そして和彩自身も誰かを特別視するのがとにかく苦手である。
 だから自分と同じ穴のムジナの心治が諒に肩入れするこの状況に、和彩は個人的に興味を持っている。
 和彩から漂う期待に満ちた雰囲気を、心治は何の迷いもなく一脚した。
「次回の約束はしていない。今日だけで十分だ。」
 心治のそれに、大和と和彩は目を丸くした。
「ちょっと…、待ってくれよ! 諒は英ポロを知らなかったじゃないっすか! それなのに次回の約束をしてこなかったって、どういうことっすか!」
 大和の声は、無意識に大きくなる。
 それもそうだ。
 諒は今回取り扱う、かの有名なショパンの英雄ポロネーズを知らなかったのだ。
 それなのにたった一日の練習で次回の約束もしなかったとあれば、いくら心治が諒を買っているといっても無謀というものである。
 しかし心治の表情に、焦りの色は一切なかった。
「確かにあいつは英ポロを知らなかった。だが今日の練習で、俺から英ポロを“盗んだ”。俺も信じられなかったが、あいつの言った通り、楽譜は一切持ってなかった。耳で聴いて目で盗む。それが諒の練習の形なんだ。言葉にするのは難しいが、あいつのしていることは演奏の真似やコピーなんかじゃない。曲の骨組みを演奏から盗み、肉付けをする。あれだけしっかりとした骨組みをくめているなら、俺の出る幕はもうない。」
 噛みついてきた大和を、心治はあっさりと切り捨てた。
 練習の全容を知らなければ不安を抱くのは当然だが、実力至上主義の心治がそういうのならば問題ないのだろう。
 これ以上話を掘り下げようとしても、くどいと言われて話を分断されるのが関の山である。
 言葉を詰まらせてしまった大和に代わり、今度は和彩が心治に挑みかかった。
「心治君は諒君に太鼓判を押してるようだけど、少し彼の実力を過大評価し過ぎてるんじゃない? 彼自身が前言ってたけど、音楽についての専門的な勉強はしてないんでしょ? 基礎ができているかも疑問な人間がたった一日の練習会でいきなりそんなハイクオリティなものが創れるのかしら。私はそうは思えないけど。」
 感情任せに言っているのとはわけが違う。
 和彩の意見には極太の芯が通っているが、心治はそれにさえ深いため息をついた。
「くどい。練習会をした俺がもういいって言ってるんだから、もういいんだ。」
 ここまで言っても揺るがない心治の態度に、和彩が若干苛立つ。
 だが心治には落ち度も間違いもないから、心治本人はそれに知らん顔を決め込んだ。
「諒は手取り足取り色々教え込んだら、頭がパンクする。それは仕事の様子からも察しが付くだろう。だが仕事とは決定的に違っているものがある。それは諒自身の自信と基礎の硬さだ。諒の持っている基礎は、あいつが言うほど緩くない。しっかりとした基礎基盤の上にある天性のセンスを俺は潰したくないから、今日の練習で必要なことはすべて教え込んできた。そんなに疑うなら、本番で諒の音色を聴いてみるといいさ。」
 心治は淡々とそう言いながら、買ってきたものをすべて冷蔵庫に仕舞い込んだ。
 心治の呑気さに、和彩から大きなため息がこぼれた。
「心治君がそこまで言うならお手並み拝見しようかしら。当日の演奏を楽しみにしとくわ。」
 何をどういっても折れない心治に、和彩は毒付きながらもなぜか心の片隅が高鳴っていた。

 

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