幻創文芸文庫 (β)

小説好きの創作小説を無料配信*スマホ対応

ラブストーリー

大正恋夢譚 〜秋桜〜 <1>

   

わたしは目をつむり、己が心に「人であれ」と命じた。
我らが「闇の公子」の御名において、今はまだ、人であれ。
夜の女王が世界を包む、そのときまでは。

小説版『東京探偵小町』外伝
―御祇島時雨&ニュアージュ―

Illustration:Dite

 

 枕元に片膝を着き、眠れる少女に呼びかける。
 長い睫毛がかすかに震え、香澄がうっすらと目を開けた。
 日本娘らしい、黒目がちの美しい瞳が現れ、そこに光が戻る。
「香澄さん」
 陽光を浴びることはおろか、見ることすらかなわぬ日々を送っているせいか、香澄の肌は透き通るように白かった。いや、青白いと言ったほうが正しいだろう。そんななかで、熱をはらんだ部分だけが異様に赤い。今も病みやつれた頬と目もとが、薄紅色に染まっている。
「……先生…………?」
 熱に冒され枯れた喉から、かすれた声が紡ぎ出される。
 薄暗がりのなかにわたしの姿を見出したのが嬉しいのか、口もとには笑みが浮かんでいた。
 わたしは黙ったまま、奇妙に熱い頬に手を添えた。そこからゆっくり上へと滑らせ、汗で貼り付いていた前髪を払い、現れた額にピタリと手のひらを当てる。
「こんなに熱があるのに」
 手の冷たさが、心地好いのだろう。
 香澄はうっとりと目を細め、薄く微笑んだ。
  闇の血を引くがゆえの体温の低さが、こんなところで役に立つとは思わなかった。
「いけませんね。なぜナースを呼ばないのです」
「呼んだって……来ません。聞こえなかったふりをして」
「何を馬鹿なことを。彼女はあなたのために、雇われているんですよ。あなたを看病するためだけに」
「知っています。そして、そのお勤めが、一日も早く終わればいいと思っていることも」
「香澄さん」
 わずかに語気を強めると、小言なんて聞きたくないとばかりに、香澄がついと視線をそらした。

 わかっているのだ、彼女も。
 自分が、ひどくいじけたことを言っているのが。
 長引く病が、体だけでは飽き足らず、最後の砦として守ってきた心まで壊そうとしているのが。

「…………ごめんなさい。香澄、いけないことを言いました」
 わたしが何も言わずに彼女の額から手を引くと、香澄が上掛けのなかから手を伸ばし、離れていこうとするわたしの手を取った。痩せて骨ばったその手もまた、内側を病に苛まれ、熱を持っている。
「ごめんなさい、先生、怒らないで。香澄のこと、嫌いにならないで。お願い」
「怒ってなんかいませんよ。ほら、またそんな泣きそうな顔をして……かわいい教え子を、このくらいで嫌ったりするものですか」
「ほんとう?」

 

-ラブストーリー

大正恋夢譚 〜秋桜〜< 第1話第2話第3話第4話第5話

コメントを残す

おすすめ作品