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ヒミツの話

   2015年12月16日  

 ランチタイムでの父の非礼を、諒は速斗に詫びた。
 二人の親子仲が決して良いものではないと分かっていながら、速斗は諒にある質問を投げかける。
 そして諒からの返答に、速斗の心が少し動き始めるのだった。

 

 
 椅子にもたれかかり、長い息を吐く速斗。
 彼の背姿を浮かない表情で見つめる花絵。
 花絵の様子に気づき、足音を立てずに和彩が花絵の背後に歩み寄ってそっと肩に手を置く。
 和彩の無言のそれは、花絵の心身に小さな波を起こす。
 言葉こそなかったが、和彩のそれで花絵の目に普段通りの活気が戻った。

 ディナーまでの空き時間中、店に飛由がやってきて大和と交代して大和が帰宅した。
 土曜日は高校生アルバイトが数名いるから、人手が十分足りている。
 だから正規従業員は土曜日に数人休みを取ることが多い。
 アルバイトはホールだけでなくキッチンにも入っている。
 和彩は元々土曜日は休みになっているが、今日は偶然ランチとディナーに演奏依頼が入っているから今日は休日出勤となったらしい。
 和彩本人は全くいやそうではないし、むしろいつもと違う面々と仕事ができることに対して興味があるようだった。

 ディナータイムの十五分前になり、いつも通り家事を済ませた諒が店に飛び込んできた。
 ホール内では、珍しく和彩が花絵にバイオリンの指導をしている。
 いつからか定かではないが、気が付けばディナー前、諒はロッカールームではなくカウンター内で着替えるのが習慣となってしまっていた。
 今日も例外なくカウンターに駆け込むと、急いで身支度を始めた。
 ごたごたと服を脱いで、パンツ一枚になったタイミングでカウンターの向こうから速斗の声が飛んできた。
「お疲れさまです。」
 これは急いで速斗に返事をしなければと、諒はとにかく慌ててしまって制服の開襟シャツを着ながらカウンターの下から勢いよく飛び出した。
「お、お疲れ、さま!」
 俗にいう“ながら作業”がとにかく下手なくせに、焦るとなぜか諒は“ながら作業”に身を挺する。
「…諒さん、シャツ裏返しです。」
 そう言って、速斗は諒のシャツのボタンを諒に見せながら苦笑した。
「え? あ、…ホントだ。あらら…。」
 いかにも諒らしいミスだが、諒が二十三歳の子持ちと速斗はどうしても思えないままここにいる。
「ランチの時の父さんの件、ほんとにごめんね。」
 服を着替えながら、何の前触れもなく諒から謝罪された速斗。
 想像だにしていなかった諒からのそれに、速斗は一瞬戸惑い、そしてどうしようもなく諒がうらやましく思った。
「気にしてないですよ。それに諒さんが謝ることじゃないでしょ? …でもいいなぁ、そういうの。」
 服から顔を出し、諒は速斗の方に視線を向ける。
 速斗は少しうつむき加減で、僅かに苦笑している。
「いいなって、なにが?」
 速斗が羨むようなことが、果たして今の言葉の中にあっただろうか。
 諒は疑問を抱えながらも、今見ている速斗の高校生とは思えないほどに大人びた寂しさに染まる横顔に見入ってしまう。
「自分の父親に対して詫びることが羨ましかったんです。うちは母子家庭だから。」
 腹の底に傷を抱えている人間の笑顔だと、諒は速斗の苦い笑みを目の当たりにして直感で読み取った。
 速斗の笑みを見て、諒の胸がギュッと締め上げられる。
「そうなんだね…。ごめん、僕変なことを。」
「謝らないでください。僕が勝手に打ち明けたんだから。」
 速斗は諒の声を遮って、切なげな笑みを取り繕う。
「諒さん。」
 すぐに速斗は諒に声をかけた。
 先ほどの諒と誠のやり取りを見る限り、親子仲は決して良好ではない。
 二人の間に何があったのかなんて、知る由もない。
 どうやら諒の子ども絡みのことで何かあったのだろうという憶測のみが、速斗の脳裏をよぎった。
 諒の怒りに満ちた顔は、初めて見た。
「どうしたの?」
 あの怒りに満ちた表情が嘘のように、今の諒はいつも通りのどこか頼りないが優しい表情をしている。
 今自分の心の中に浮かんでいるこの疑問は、おそらく諒の気持ちを僅かでも害するものだと頭では理解しているつもりだ。
 だがそれを速斗自身の理性で蓋をすることは、どうしてもできなかった。
「諒さんにとって、お父さんってどんな人ですか?」
 こんな質問、酷だ。
 それはこれを口にしてしまった速斗が誰よりもわかっているし、もう後悔している。
 これがきっかけで、もしかしたら諒との関係がぎくしゃくしてしまうかもしれない。
 だが、それでも諒にこれを聞かずにはいられなかった。
 世間一般的には安定のあるであろう父子の繋がりが、少しながら普通とは形の違う諒に対して、速斗は漠然的な親近感を抱いていた。
 諒は腕組みをして、うーんと小さな唸り声を上げながらも、諒は速斗に自らの考えを伝えた。

「あんな親でもね、憎み切れない。ダメな人だって思ってるのに、なぜか心の隅っこじゃ許してしまう。僕にとって父さんは、大嫌いでも嫌いになり切れない特別な壁なんだよ。」

 そう語る諒の表情は、複雑そのものだった。
 諒のそれを聞いた瞬間、速斗の脳内によぎったのは憧れ続ける男の広い背中だった。
 ──同じだ…。
 彼が背を向けていったことを、今まさに諒が速斗に言ってのけたのだ。
 じわりじわりと速斗の心の中に、歓喜のような感情が沸き上がる。
 ──この人なら…、話しても大丈夫かもしれない。
 誰にも語ることのなかった、速斗自身の少し特殊な生きざまと音楽観。
 音楽大学を卒業した人には決して言えない、速斗の中には存在している。

 

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