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速斗の生い立ち

   2015年12月22日  

 速斗の兄仁斗。
 彼の存在が速斗にとって大きい理由が、速斗の生い立ちにある。
 速斗と仁斗の母と。
 母の背を追う仁斗。
 仁斗の背を追う速斗。
 安定しなかった親の存在。
 変わらなかったのはたった一人の兄の存在だった。

 

 
 速斗には八歳年の離れた兄がいる。
 名前は仁斗(じんと)。
 彼の背は速斗が幼いころから見つめ続けていた、大好きな背中だった。

 仁斗と速斗には、父に研究学者である新(あらた)とピアニストの母である仁亜舞(にあま)がいた。
 仁斗は新の連れ子で、それを承知で仁亜舞は新と籍を入れたと彼女は仁斗に伝えたと仁斗本人が言っていた。
 学者という職業はある種の職人業で、新の性格は職人のねじ曲がった認識を絵に描いたような頑固さとひねくれようだった。
 速斗はおろか仁斗すらも、新の顔をよく覚えていない。
 それくらいの長期間、新は研究施設にこもりきっていたのだ。
 仁斗が七歳の頃に二人は籍を入れたが、入籍の四年前から仁斗は仁亜舞が預かって育てていた。
 仁斗は若干人見知りだったが、仁亜舞のさっぱりとした男性的な性格に次第に心を開いていった。

 仁亜舞は仁斗を妙な子ども扱いをすることなく、仁斗を一人の人間として話をしていた。
 会話をするときは、例え演奏会前でドレスアップしていたとしても仁斗に背丈を合わせて膝を折り、仁斗の目を見て会話を交わす。
 仁斗と話を知り仁亜舞のまなざしは、一生懸命自分に話しかける仁斗をふわりと包む優しさに満ちていた。
 だから仁斗は仁亜舞に、どんな時でも話したいときに、大切なことからどうでもいいことまで様々なことを飽きることなく話し続けた。
 仁亜舞と仁斗は、血の繋がりこそないが誰がどう見ても親子にしか見えなかった。

 仁斗が七歳の頃に仁亜舞が妊娠し、それを機に二人は籍を入れた。
 そして仁斗が八歳になって間もなく、夢にまで見た弟が誕生した。
 それが速斗である。
 仁斗は速斗の誕生を誰よりも喜び、とにかくかわいがった。
 遊びはともかく、おむつ替えや着替えまで仁斗が世話をした。
 八歳の年の差を内心心配していた仁亜舞だが、過保護すぎるほど仁斗がよく速斗の面倒を見てくれてほっと胸をなでおろしたのだった。

 仁亜舞と生活する中で、仁斗は自然と仁亜舞からピアノの手ほどきを受けていた。
 三歳から始めたピアノはみるみるうちに上達し、速斗が生まれた時点で仁斗は練習さえすればどんな曲でも弾ける腕を持っていた。
 うなぎ上りに上達していった様は、他人から見れば天才的だと映るだろう。
 しかし仁斗は決して天才なんかではない。
 仁亜舞がステージであまりにも楽しそうに、どんな曲でも弾きこなすから。
 母のようになりたい気持ちと、純粋に楽しむ心のままに練習に打ち込んだ結果の技術なのだ。
 仁斗本人は努力してというよりも遊んでいたという意識しかないが、それは母仁亜舞にはものすごい努力だという印象だった。

 そんなある日、本番を控えた仁亜舞に仁斗は唐突な質問をした。
「ステージで弾くのって楽しいの?」
 前々から気になっていた。
 仁亜舞はステージでピアノを弾く背姿は、とてものびのびとしている。
 緊張しているところも見たことはなかったし、まるで遊園地のアトラクションにでも乗るかのように見るからにワクワクしてステージに向かっていく。
 自らは立ったことのないそこは、そんなにも心躍る場所なのか。
 仁斗はとても気になっていた。
 そんな仁斗に仁亜舞は小さな笑い声をあげて、仁斗の視線に合わせて腰をかがめて彼の頭にそっと手を置いた。
「楽しいさ。だからピアニストなんて職に就いてるんだ。これはステージに上がった人間にしかわからない。」
 仁斗にあるがままの気持ちを伝える仁亜舞の瞳は、キラキラというよりもギラギラとしていた。
 元々野心家だと自ら言っていたが、この時仁斗は初めてそれをダイレクトに感じた。
「俺も練習したら母さんみたいになれるかな…。」
 恐る恐る仁斗は仁亜舞に問う。
 いつも物事の真相を濁すことなく相手に伝える人だから、無理だという返答に恐怖心を抱かずにはいられない。
 仁斗の不安を感じ取り、仁亜舞は柔らかに微笑みかけて。

「できるさ。仁斗は努力すればなんだってできる。仁斗は私の自慢の息子なんだから。」

 そう言い残して、仁亜舞はステージに出ていった。
 沸き上がる拍手。
 観客席に礼をする母の横顔は、仁斗の脳裏にあまりにもかっこよく焼き付いた。
 ──俺も…母さんみたいになりたい…!
 この出来事をきっかけに、仁斗は仁亜舞の知人のピアノ講師から本格的にレッスンを受けることになった。

 速斗が生まれて二年後。
 仁亜舞は心臓の病で、ある日突然この世を去った。
 喪主は新が務めたが、涙どころか悲しむ様子さえ一切見せなかった。
 仁亜舞を失った悲しみから立ち直れない仁斗にまだ幼い速斗の面倒を丸投げして、新は早々に研究施設に戻っていった。
 わが親ながら薄情の一言に尽きる。
 仁斗は十歳にして、速斗を保育所に送迎しながら育てることとなった。
 保育料や生活費は新から仕送りがあったが、送られてくる資金に温か味なんて存在していない。
 仁斗の心のよりどころは、仁亜舞がいたこの家と彼女の遺品であるグランドピアノ、そして弟の速斗のみだった。

 

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