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ショート・ショート

桜の迷路

   

 平凡な主婦としての生活の中で、ふとした瞬間、自分の中にある女性の部分が顔を見せてしまった。
 気が付かなければ、このまま平穏無事な生活をしていられるはずなのに、日常の中に潜む一瞬の気の迷いが、出会い系サイトと言う、巧みな甘い罠へとハマって行く。

 

 佐川松子は、ごく普通の45歳の主婦として生活している。
 家族は、夫と子供2人の4人暮らし。
 今はまだ賃貸のアパートに暮らしているが、いつかは「一戸建てを購入して、好きなガーデニングに時間を費やせるような余裕のある生活をしてみたい」そんなささやかな希望を胸に秘めて、週4日のスーパーでのパートをしている。

 毎朝5時半には起床し、夫と高校生の長男の弁当、そして、中学2年生になる14歳の娘は、毎朝30分は洗面所を占拠するので、その前には自分の化粧や髪の毛を整え身支度をしておかなくてはならない。

 梅雨明けの7月は、朝から蒸し暑い。
 カーテンを開けると、今日も良い天気だ。
 昨日の予報では今日も30℃を超えるらしい。
『夕立は無さそうだから、洗濯は外に出してもOKよね』

 今日の弁当は自分もパートが入っているので3人前だ。
「ハンバーグとポテトサラダと卵焼き」そして、必ず残されてくるであろう、彩りとしての「ブロッコリーとトマトの付け合せ」だ。 

 なぜ、いつもブロッコリーも人参も、トマトも嫌われているのだろう。
 一度、残されるのも勿体ないので試しに抜きで弁当を作ってみたが、帰ってきた夫の第一声は「お前、調子でも悪かったのか? 弁当の彩り悪かったよ」であった。

 結局彩りって必要なものなのね。
『私もこの家族の、彩り位にはなっているのかしら?』
 そんなつまらない事を考えていると、既に時計は7時を過ぎていた。
 2階から物凄い勢いで、娘が飛び出してきた。
「ママ! なんで起こしてくれないのよ! 遅刻しちゃうじゃない!」
 そうキッチンのドアから顔だけ覗かせ、もの凄い形相で私を怒鳴りつけると、洗面所に駆け込んで行った。
『自分が悪いんじゃん。別に髪の毛寝癖ついてたって誰も文句なんて言わないわよ。』
 等と、心の中で悪態をつきながら、
「ごめねぇっ! つい遅くなっちゃったのよ。朝食出来てるからね。」
「いらないっ! 食べたくないし、もう時間的に無理だしっ!」
『そうですか。私の作った朝食よりもヘアスタイルのが大事なのね。』
 心の声を漏らさぬように、夫の寝室と息子の寝室にも声を掛ける。
「時間よぉっ! そろそろ起きてね。」

 夫は、起きてくるなりテレビのニュース番組を付け、新聞受けから新聞を取り出し読み始める。
 そこへ私はコーヒーを出す。
 夫は朝食は食べないので、結婚して20年、このルールは続いているのだ。

「やっべ。母さん、明日三者面談だは。来れる? 一応4時半だけどさ、仕事だったらパスしてもいいよ。まだ2年だし、進路選択は来年だしね。」
 なんてのんきな長男なんだ。
 少々イラつきながらも
「大丈夫。明日はシフト入ってないし、いけるから。それに進路相談って、普通は2年の終わりには、3年生のクラス分けするのに必要でしょう。」
「そっか。そうだよね。まっ、取りあえずよろしくです!」
 そう言いながら、トーストに目玉焼きとサラダとハムを乗せて、勝手にサンドイッチにして3口で食べた。
『これなら最初からサンドイッチにしとけばいいのよね。』
 何と無く、自分が時間をかけた事の無駄な感じに、心が淋しさを訴えかけてきたような気がした。

 次々に出勤、通学で家族が出かけて行くと、家の中はやたらと広く感じられる。
「孤独感」「沈黙」「冷えた愛情」なんて文字が頭に浮かんできて、我に返った。
『天気もいいし、洗濯して、掃除機かけて、食器片づけて、それから出勤して、晩御飯は…なんでもいっか…。』
 ソファーから腰をあげ、いつも通りの家事を始める。
 食器を洗いながら、今日仕事が終わってからの晩御飯の買い物の内容を考えていると不意に、スマホのメール音が鳴った。
『こんな朝っぱらから誰よ』
 そう思いながら開けてみると、出会い系サイトの迷惑メールだった。
『こんなメールに引っ掛かる人なんていないわよね。』
 そう思いながら、でも何と無く気になってちょっとだけ除いてみたくなった。
 時間はまだ8時半。
 9時半には家を出て、自転車でパート先のスーパーまではたったの5分。
 9時45分にタイムカードを押せば問題ない訳だ。
 食器もとりあえず片付け終わっている訳で、『ちょっとだけなら覗いてみようかなぁ。』
 本当に何と無くだった。
 深い訳も無く、出会い系で誰かと出会って不倫する事も考えていないし、大体、話を延ばされて、課金だけされて、相手は「サクラ」だって事ぐらい、ただの主婦の私でさえわかっている。
 でも本当にちょっとした好奇心が、ついメールを開封してしまった。
 これが悪魔の仕組んだ迷路だと言う事も、この時には、全く知らないまま、その好奇心に突き動かされてしまったのだ。

『<件名> あなたを知りたい
 <本文> 俺の名前は恭介って言います。
 ゲストさんのプロフィール何にも書いて無くて、どんな人かなって興味持っちゃったんだよね。
 俺、ドン引きされるかもしれないけど、ホストしてます。
 だから普通の女性と話しがしたくって、メールしちゃいました。
 良かったら、お名前だけでも教えてくれませんか?』
 ちょっとドキッとした。
『あなたが知りたい』
 そんな事思われたのは、結婚以来初めてかもしれない。
 こう言った詐欺サイトの大半は、最初の5通分くらいのポイントは無料進呈されているので、自分の名前を教えるくらいのポイントは、充分無料でメールが出来る。
 それが、悪い心の隙間に忍び込んだのだ。
 松子はすぐに返信メールを打ち始めた。

 

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