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春色の そら事に

   

カメラが趣味の純平は、桜の花が咲く春の日に、川沿いに咲く枝垂れ桜を撮ろうとしてファインダーを覗き込むと、桜の横で寂し気な顔をしている加奈子の姿が見えた。

 

 春は僕に嘘をつく。穏やかに靡く温かい風は、やがて桜を散りばめて、別れの時が来るのを知らせる。
 夏は僕を戒める。燦々と照らす日差しの暑さが、体を照り付け、償わせる。
 おぼろ月夜の秋風に、揺れ動かされた芒の穂が、あの時のことを思い出させ、僕の心も揺れ動く。
 凍てつく寒さの冬の夜に、降り注いだ結晶は、雪化粧と言いながら、僕の心を凍らせていた。

 桜の花が咲くのは、遅かった。もう、四月も十日を過ぎているが、川沿いの桜は満開で、道行く人を足止める。水辺に向かい垂れさがる枝垂れ桜の姿は、痛々しく思えて僕は好かない。だが、老夫婦はゆっくりと歩きながら、「綺麗ですね」と、カメラのファインダーを覗く僕に声を掛けた。
「ええ、そうですね」僕は、曖昧な返事を老夫婦に返す。老夫婦が通り過ぎると、僕はレンズを二人の後ろ姿に向けて、1枚の写真を撮った。
 あの夫婦は幸せだ。もう幾度と、この風景を二人で眺めたのだろう。いや、それは、決め付けた考えであって、今年になって結婚した新婚夫婦だとしてもおかしくはない。ただ、幾度と、この風景を眺めた夫婦であることが、僕には微笑ましいと思うだけのことだ。

 彼女は寂し気な顔で、ファインダーに写り込んでいた。この桜の木を目印に、川を挟んだ向こうで、花弁に紛れるように写り込んだ。春色のワンピースにぼかされていたが、彼女の憂いた表情が、どこか枝垂れ桜と似ていたことを、僕は気に掛けた。
 僕は、その姿をカメラに収めようとしてピントを合わせると、彼女はこちらに気が付いて首を傾げていた。
 僕は慌ててレンズを背け、彼女に向かい頭を下げた。隠し撮りでもしていたと思われても困るから、慌てて橋を渡り、向こう側へ行くと、彼女は僕が走る姿を眺めていたように、こちらに目を向けていた。
「すみません、別に隠し撮りとかをしていたわけじゃあなくて……」
 真顔の彼女がクスリと笑い出すと、僕も誤魔化すように唇を吊り上げる。
「何を撮っていたの」彼女は僕のカメラを指差して、問い掛ける。
「あ、あぁ、桜です。この、枝垂れ桜」僕の方は、隣の桜を指差して答える。
「じゃぁ、私を桜と間違えたってこと」彼女の言葉に慌てた僕は、指先を彼女のワンピースに向けて、「色が似ていたから、少し分からなかった」と、誤魔化した。
「私、こんなに俯いていた」今度は、彼女が桜の木を指差す。
「いや、でも、少し寂しそうには見えたかな」僕は、彼女から目を逸らして答えた。
「ねぇ、じゃぁ、いっぱい笑うから、私のことを撮ってくれる」
「え、いいけど……」
 僕は少し戸惑ったが、彼女は桜の木を背にすると、先程とは裏腹に、万弁の笑みを見せた。
「ねぇ、早く撮って」彼女のその声に、僕は慌ててファインダーを覗き込む。
「撮りますよ。あ、名前を伺っていいですか」
 シャッターを押す時の合図などは色々あるが、僕はいつも、相手の名前を呼ぶ。名前を呼ばれた時の顔が、一番、良い表情に見えるからだ。
「あなたの名前は?」彼女は、人に名前を尋ねるならば、まずは自ら名乗れと言うように問い掛けてきた。
「僕ですか、僕は、純平。井東純平です」
「私は、加奈子。杉原加奈子」
「じゃぁ、加奈子さん、撮りますよ」
「宜しくお願いします。純平君」
それが、僕と彼女の出会い。春の枝垂れ桜を風景にして、彼女は満面の笑みを浮かべていた。

 

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