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歴史・時代

武蔵試し(完)

   2016年6月2日  

冷静さを失った小次郎の精神的な隙を突き一撃を見舞った熊鬼だったが、やはり「武蔵」も避けるほどの剣豪、自分を取り戻してからの動きにはまるで隙がなく、さらに、死角から跳ね上がってくる秘剣、燕返しへの対応も難しかった。

それでもなお、熊鬼は獣じみた奇襲を仕掛け手傷を負わせるものの、すぐに反撃を喰らい、さらに、持久戦へ持ち込むという狙いも小次郎が投げてきた「燕尾」の威力によって覆されつつあった。

だが、出血を自在に操ることができる熊鬼に対し、血が止まらない小次郎が消耗を来たすているのも事実であり、いつしか二人の戦いは、単なる試合とは呼べない、精魂の最後の一滴までをも注ぎ込むものになっていった。

果たして、最後に勝つのは……?

 

 小次郎は姿勢をぐっと低くして踏み込みにかかった。
 熊鬼がひと呼吸、いや、半呼吸する間に、彼は滑るように足を飛ばし、間合いの中に入っていた。
 兆しも余韻もまるでない。
「む」
 熊鬼は息を飲んだ。
 無論、小次郎の動きに気付いていなかったわけではない。
 打ち込む隙が見当たらず、先手を逸してしまったのである。
 しかし、それでも体を完璧に制動し、力みを加えずに済んだのは良かった。
 もし筋肉を固め、力の流れを止めてしまっていたなら、その部分は瞬時に切り落とされていただろう。
「ひゅっ」
 熊鬼の呼気に応じるように小次郎もまた軽く息を吐いた。
 同時に、袈裟斬りの軌道で剣が迫ってくる。危ういところで、体を崩さない「柳避け」で剣先を見切った熊鬼は、しかし、頭の後ろ側の痺れるような感覚に従い、さらに身をよじる。
 空間を開いたちょうどその部分に、三尺からなる小次郎の剣の切っ先が走っていく。
 しかもその剣は、一瞬もしないうちに手元に戻り、さらに真っ向から切り下ろされていく。
 とっさに棒から右手を離し、小手への一撃をかわした熊鬼は思い切り身を屈め脛に向けて逆袈裟の形で棒を走らせた。
 小次郎は、軸足に体が乗り切っているのにも構わずとんと地から跳ね、三間も後ろに着地してみせた。
「やるだね、あんた。斬られないようにするのが手一杯だ」
 熊鬼は、喉をついて出た声が意外なほどに明るかったことと、頬が緩んでいるのに気が付いた。
「武蔵」と立ち会ってもここまでにはならなかった。
「只者、どころではないようだな。飛ぶ燕は落とせても、地を行く熊にはかわされるか。私の技にもまだ先があると見た」
 小次郎もまた、笑っていた。
 依然として獰猛なものを目に宿してはいたが、先ほどまでの怒りは感じられない。
 ただ、周囲に漏れていた剣気が凝縮された分、熊鬼への圧力は増しているようだった。
「噂ぐらいには聞いたこともあろう。我が秘剣、燕返しをご覧に入れよう。貴様への最上の手向けだと心得よ」
「ありがてえな。全部出し切ってくれた方が、わっしも悔いを残さずに済むってもんだ」
 熊鬼が軽く笑ったのを合図としたように、小次郎が構えを変えた。
 正眼に置いていた剣を下段に移し、切っ先を上に反転させた。
 腕を捻ったのだ。
 鋭く薄い、それでいてぎらぎらとした剣先がまっすぐに熊鬼を狙っている。もし小次郎が間合いに入り、少しでも左手をはね上げたら、「物干し竿」は次の瞬間には熊鬼を両断していることだろう。

 

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