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歴史・時代

大正恋夢譚 〜夾竹桃〜 <中>

   

これでは、埒が明かない。
オレは蒼馬の腕を取って、自分の背に導いた。
「家まで送ってやる。つかまれ」

小説版『東京探偵小町』外伝
―逸見リヒト輝彦&紫月蒼馬―

Illustration:Dite

 

 蒼馬の隣に立って、その手の動きと、白一面の画帳に少しずつ描かれていく花に目をやる。次いで、俺たちの前に茂っている庭木を見上げた。絵とそっくりだった。
 青慧中でおそらく一番の有名人であり、最も厄介な問題児でもあるというだけあって、学年は違えど、蒼馬のことはオレでも聞き知っていた。
 この「紫月蒼馬」という名前は、日本画の雅号に本名を足した、挿絵用の筆名なのだという。本名は他にあるということだが、尋常小学校にいるうちから「紫月蒼馬」で売り出してきたため、どこでもこの名前で通しているらしい。オレの記憶にあるのも、この美々しい筆名のほうだった。
「……ボク、描いてるところを人に見られるの、キライなんだけど」
 黙って色鉛筆を動かしていた蒼馬が、再びそれを止め、子供特有の甲高い声で言う。オレは画帳から目をそらして、蒼馬の隣に腰掛けた。それぞれの授業が始まるまで、まだ少し時間がある。それまで、この子供のそばにいてやろうと思った。なぜか、そう思った。
「あのさあ、アンタ耳悪いの? そうやって見られてると、気が散るんだってば!」
 オレは蒼馬に背を向けて座っている。
 見ていないのを承知した上での言い掛かりだった。

 それで、わかった。
 思った通り、これは寂しい子供なのだと。

「これはオマエのものか」
 木製の長椅子を、拳でコンと叩いてみせる。
 オレの言いたいことがわかったのだろう、蒼馬は優に百本はあろうかという色鉛筆が入った木箱のふたを乱暴に閉めると、画帳を小脇に抱えて館内に向かった。すると、蒼馬が扉に手をかけるよりも早く内側から扉が開き、仏語初級を教えているバルビエ夫人が顔を覗かせた。
「あ、ボンソワー、マダーム」
「アー、ボンソワー、ソゥマ。いま、あなたに、おはなししようとおもってました。わたし、ようじ、できました。だいじな、ようじです。でかけます」
「じゃあ、今日の授業はお休みですか?」
 蒼馬が残念そうな口ぶりで尋ねる。
 入学以来、学校にはほとんど来たためしがないくせに、この語学塾だけは一度も休んだことがない。それが、少し妙だった。
「ウィ、ウィ、ルポね、おやすみね。もくようび、また、きてください。ジュディ」
「ウィ、マダーム」
「アロー、かわりにね、いいもの、あげましょう。アンモマン」
 祖母が孫に言うような優しい声音で、少し待つように言う。
 やがてバルビエ夫人は、銀色の盆に硝子のコップを二つ載せて、玄関先に戻ってきた。

 

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