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ミステリー・サスペンス・ハードボイルド

Egg~ノクターン~episode6

   2016年7月29日  

 ただ、ララから生み出される一つの音色が、二人だけの孤立した空間を満たしているだけ。永遠に続けばいいのにとすら感じた。このまま、この世界がなくなれば、もっといい。

 大人の為のラブストーリー。
 ビターな味をどうぞ!

 

「ショパン」
 ポツリと呟いた。
「そう、なら3曲目は俺が弾こう」
「え?」
 驚いて疑問符を投げかける私の脇に手を掛けると、ララはそのまま抱き上げピアノの上へと座らせた。座って、やっと目線の位置が、彼と並んだ事に気付く。続いて自分は椅子に座り直し、その長く白い指で鍵盤上を移動し始めた。
「ノクターン?」
 その問いかけに、彼はそっと微笑み返しただけ。
 ゆっくりとララの指に紡がれる、鍵盤の音色。それは一つ一つがそれぞれ呼吸をし、生きている様にさえ思える。なだらかに、優しく、そして何より悲しい……。
 それ以上は何も言わなかった。
 ただ、ララから生み出される一つの音色が、二人だけの孤立した空間を満たしているだけ。永遠に続けばいいのにとすら感じた。このまま、この世界がなくなれば、もっといい。
 3曲目が終わり、拍手をした。虚しいだけの拍手は、直ぐに止まる。
「幼い頃、ピアニストになりたかったんだ。天才は、欲しいものを欲しいまま手に入れる事ができるんだろうか?」
 ララの、何気ない言葉。
「ショパンは……少なくともショパンは違う。だから私は好き。彼は、孤独に死んだ音楽家だ」
「孤独に?」
「そう、孤独に」
「どんな生涯?」
 ショパンの生涯。私がもっとも好きだと断言できるのは、芸術とはかけ離れた……否、もっとも芸術的に属する部分なのかも知れない。
「……彼は、母と姉を見て初めてピアノを弾いたんだ。その時のショパンに才能を見た両親は、彼に個人教授を付けた。そして7歳の時に初めて作曲し、19歳の時にはモーツアルトのオペラを基にした変奏曲を発表、音楽界に天才の名を知らしめた。そして恋をし失恋し、女流作家ジョルジュ・サンドと巡り合った。暫くは幸せだったそうだよ。けれども9年後、些細な誤解を切っ掛けに、その恋愛にも終止符が打たれたの。ショパンは独り、この世を去った」
 ポロン……なんて、ララの鳴らした和音が空気を震わす。
「……俺に、才能はなかった……」

 ―― 痛い……。

 痛いよ。なんで、こんなに、胸が苦しくて、痛いのだろう。
「だけど、やっぱり……孤独なのかな」
 もし、もしもこの時、私がララを抱き締める事が出来たのなら、未来は変わっていたのかもしれない。素直になれなくて。悔しいぐらい、不器用で。手、すら差し伸べられなかった。ただ小さく見える彼をピアノの上から見下ろし、その痛みを感じることぐらいしか出来なかった。
「ララ……きっと、ララは、孤独なんかじゃ、ないと思う」
 居ても、いいのかな? 貴方の側に。そっと、寄り添っていても、いいですか? そう、言えたら良かったのに。
「ありがとう」
 そして、再び音楽が流れる。それは私の知らない曲だったのだけれど、凄く綺麗で優しくて、それなのにやっぱり悲しくて。なんだか、ララみたいな曲だった。

 ララが言うには、明日の夜晩本格的にパープル・アイを仕留めに行く事になったらしい。だから、今夜はレストランへ。彼が綺麗にラッピングされた箱を手渡してきた。
「魔法使いからのプレゼント」
 照れ隠しに「何言ってんの?」なんて、可愛げの無い台詞を吐きながら顔を背ける。けれど、ニヤけた口元までは隠せなかった様で、鼻で笑われた。
 早速開けてみることに。ビリビリと景気良く包装紙を剥ぎ取ると、箱の中身は真っ赤なワンピースだった。
「わぁ!! 凄い!」
「色々悩んだんだけどね。やっぱり、フォックスには赤が似合うから」
 思わず涙ぐみそうになる。泣かない様にワンピースを握り締めて、ぐっと堪えていたら、ララの温かい手の平が私の頭をそっと撫でた。
「着替えてみせてよ」
 声が出せず、頷くと転びそうになりながら寝室へと駆け込んだ。また、鼻で笑われたけれど、不思議と腹は立たなかった。
 赤いワンピースはピッタリだった。サラリとした生地の上から柔らかなシフォンが重ねられ、裾と胸元に黒のレースがあしらわれている。飾りの為に取り付けられた胸の下にラインを引くベルベットのリボンや、黒薔薇のコサージュもお洒落だし、苦手だったお姫様みたいな袖の膨らみも可愛らしい。
 私には、勿体無いくらい乙女チックに思えた。
 なんだか髪型が嫌になり、髪をアップに上げた。そしたら顔も気になって、念入りに化粧をした。何度か彼がノックをしては私を呼んだが、その度に「まだ!」と冷たく返す事しか出来なかった。
 30分以上経ったと思う。ララも諦めたのか、隣のリビングからはいつしか音楽が流れていた。
 ギー……と言う耳障りな音と共に、扉を8インチ程開いて戸惑う。なんだか恥ずかしくなってきて、出るに出られなくなってしまったのだ。
「フォックス、準備出来たの?」
 ララの近付く足音が聞こえる。
「え? あ……うん、だけど……やっぱり、駄目……」
 らしくない、らしくない、らしくない。
 もう一人の自分が、引っ切り無しにそう言って来る。
 扉を閉めようとしたら、ララが無理に引き開けた。ぐいっと身体ごと引っ張られ、更に私の腕を掴んで引き寄せるから、耐えられなくなった私は勢いで彼の身体へと顔をぶつけた。
 ララの匂いが私の身体中を包んで、全身に電流が走った様になった。
「駄目! 口紅」
 どん! と身体を突き飛ばすようにして彼から離れる。落ちてきた残り髪を耳にかけて、逃げるようにして距離を置いた。
「ごめん、化粧付くと……汚れるから」
 二人の間に、沈黙した空気が流れる。恥ずかしくて、顔なんかまともに見られない。
 最初に、言葉を作ったのはララの方だった。
「似合うよ、綺麗だ」
 その一言が私の琴線に触れたのか、涙がポロリと零れ落ちた。
 その後暫くは覚えていない。覚えていないけど、苦しいぐらいに、苦しすぎるぐらい幸せだった気がする。

*****

 

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