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歴史・時代

大正恋夢譚 〜夾竹桃〜 <後>

   

「知ってる? 夾竹桃には毒があるんだよ。葉とか木の皮とかに、すごく強い、人が死んじゃうくらいの猛毒があるんだって。でも、その毒は…………」

小説版『東京探偵小町』外伝
―逸見リヒト輝彦&紫月蒼馬―

Illustration:Dite

 

 蒼馬の住まいがあるという本郷の森川町は、帝大正門前の一角で、もとは小さな宿場町だったという。大小の宿屋は、今は学生下宿に姿を変え、帝大生の多くがそこに世話になっているようだった。
 森川町に用はないが、「兄上」が帝大医学部の特任教授をしている関係から、オレも正門の南隣にある赤門や、その奥にある医学部の研究棟までなら、何度か供をしたことがある。その赤門の近くまで行けば、あとは蒼馬が案内するか、自力で帰途につくだろう。
「ねえ、質問の答え、まだ聞いてないよ」
 蒼馬の問いにひとつひとつ答えるのは、正直に言って、あまり気が進まなかった。だが、無視を決め込んでも、向こうは諦めようとしない。オレは仕方なく、この身に与えられた名前の由来を語った。
「本来の名はリヒトだ」
「リヒト。なんて意味?」
「独逸語で『光』だ」
「光かぁ……でも、そういうことなら、アンタって独逸人なんだよね? なんで独逸人が、独逸語なんか習ってんのさ」
「日本生まれの日本育ちだからだ。親が死んだ後、逸見家に引き取られて、亡くなった次兄の名をもらった。それが『輝彦』だ」
 輝彦という名は、二年前に急な病で亡くなった次兄、つまり逸見家の次男の名だった。「兄上」の要請を受け、オレを逸見家の養子として迎えてくれた郷里の「父上」が、日本名としてオレに与えてくれたのだ。最初は驚いたが、亡き人の名を年下の兄弟や子孫が継ぐというのは、珍しいことではないらしい。いずれにせよ、オレにとっては、この上なく大切な名だった。
「なんかさ、アンタもいろいろありそうな人だよね。そうじゃないかなって、最初見たときから思ってたけど」
 それはオレの髪や肌、目の色であり、この眼帯のこと、左手に巻いた包帯のことでもあっただろう。だが蒼馬は、それ以上は何も聞かず、「暑い」とひと言だけつぶやいて口を閉ざした。やっと蒼馬が黙ったので、オレも幾らか落ちついた気持ちで、外濠沿いを歩いた。

 水道橋で折れ、富坂をたどる。
 ここに到るまでに、最初躍起になって探していた俥を何台か見かけたが、声を掛けずにやり過ごした。あれがそれほど揺れる乗り物だとは思えないが、本当に気に入らないのか、蒼馬も知らぬ振りを決め込んでいる。
 やがて、一町ほど先に、帝大の赤門が見えてきた。
 聞きたいことを聞き尽くして満足したのか、それとも、あれほど嫌がっていた他人の背なのに眠ってしまったのか、蒼馬は別人のようにおとなしい。このあたりで正確な住所を聞くべきか、いっそ赤門前まで出てしまうべきかと迷うなか、ある家の軒先に、さっき蒼馬が描いていたのと同じ花が咲いているのに気づいた。
 勢い良く茂る葉のなかで、濃い桃色をした八重の花が、幾つも幾つも誇らしげに顔を覗かせている。なんとなくそれに気を取られていると、蒼馬がふいに、「キョウチクトウだ」とつぶやいた。
「夾竹桃。さっきボクが描いてた花だよ。バルビエ先生の庭に咲いてるのがすごくきれいだったから、挿絵の背景に使おうと思ってたんだ。見栄えのいいときに、たくさんスケッチできて良かった」

 

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