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歴史・時代

大正恋夢譚 〜白菊〜 <2>

   

兄さんも、父さんみたいに、長生きできる組だといいな。
俺はさあ……『運がいいのはどっちか一人だけ』って言われたら、
運の悪いほうでいいよ。

小説版『東京探偵小町』外伝
―サタジット・ワリー&逸見晃彦―

Illustration:Dite

 

 よろしいですか、ミスター。
 このあいだの話の続きをしても。
 ええ、歳若くして亡くなったわたしの友人・輝彦くんの話です。

「そんなに悪くないから、心配ないって」
 わたしがよほど心配そうな顔をしていたのでしょう、輝彦くんは明るく笑ってみせ、ついには起き上がってしまいました。すかさず、リヒトがそばに寄ってきます。輝彦くんはリヒトを抱き上げ、膝の上に乗せました。
「ただでさえ暑いのに熱があるから、始終だるいような気はするけどさ。本当に、それだけだから」
「ドクター、いえ、おにいさんは、なんといっているのです」
「午前中にわざわざ戻って来てさあ、こーんなどでかい注射しやがんの。今夜帰ってきてまだ熱があったら、向こう一週間、外出禁止だって。まったく、勘弁してほしいぜ。なー、リヒト」
 大人しく膝に座っているリヒトが、ひと声ほえます。
 輝彦くんはリヒトの頭をなで、やがて右手の小机に積み上げられていた本のなかから、群青色の一冊を抜き出しました。伏せりがちだったせいか、輝彦くんは小さい頃からたくさんの本を与えられていて、結構な読書家だったのです。兄君の蔵書と合わせて、書庫代わりにしている物置があるくらいでした。
「はい、これ。タジさんにお土産」
 青い血管の浮き出た腕が、一冊の本を差し出します。
 表題には、『郷土の伝承』とありました。おそらく、輝彦くんの郷里に伝わる逸話を莵集したものだったのでしょう。パラパラと頁を繰ると、収められている話のほとんどが、寺社の縁起譚や霊験譚、昔話の類いでした。細かい字の上に結構な厚さで、里の古老を一人一人訪ねては辛抱強く聞き集めた、編者の苦労が窺われました。
「ふーむ。きっとこれも、『トオノ』のエイキョウをうけてでてきたホンなのでしょうネ。しかしテルヒコくんは、こういったフシギなおはなしが、ホントウにおすきなのですネ」
「タジさんが、印度の神話や伝説をたくさん聞かせてくれたからだよ。帰省する前に借りた、ほら、タジさんのとこの新聞社が出した民俗学の本。あれも面白かったなぁ。ね、あの本、もうちょっと貸しといてくれない? 俺が買ってきた『郷土の伝承』と合わせて、夏休みの作文の題材にしようかと思ってるんだ」
「ええ、かまいませんとも。では、こちら、ありがたくチョウダイしますヨ」
 本を受け取ると、輝彦くんはまたうちわをバタバタさせながら、冷たい飲み物が欲しいとねだってきました。
「老人じゃないんだからさ、こんな番茶の冷ましたのなんか、飲めるわけないよ。あーあ、氷水が飲みたいなあ」
「コオリ? とーんでもない! このうえ、おなかまでこわしたらどうします。ビョウキのヒトは、あついものをのむのがよいのです。どれ、タジさんがつくってあげましょう」
「ちぇっ、タジさんなら、言うこと聞いてくれると思ったのに」
 輝彦くんは不満そうに頬を膨らませておりましたが、やがて諦めたのでしょう。リヒトをおなかに載せたまま、バタリと仰向けに倒れました。わたしは台所に行こうと腰を上げ、ふと思いついて、昼食はすませたのかと尋ねました。すると輝彦くんは、気のない声で、食欲がないと答えました。

 

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