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寛容な妻 寛容な会社

   2016年8月26日  

 黒川は、やや厳しい表情で続けた。
「いいか、俺にとってお前は大事な後輩であり親友だ。だが、世間から見た鹿嶋 修一という存在は必ずしも大事じゃない。今までに、定職に就いたことがなく、収入も少なく、人と違った職能を持っているわけでもない。故に蓄えはほとんどないし、車や家といったものも縁遠い、四十手前の男。それがお前だ」
「い、痛いところを突きますね……」
「一方、お前の奥さんは飛び切りの美人だ。気立ても良く、何でもできる。恋愛に疎い俺でも、引くてあまたなんだろうなってことぐらいは分かる。そんな彼女がどうしてお前を選んだのか。仕事だけじゃなくて家事も一切できないお前を」
「うーむ、そう言われると、根拠が見えないような」
「もし仮に、彼女が富豪の一族で収入にまるで拘る必要がないとすれば、恋愛感情だけで選んだというのも分かる。しかし、肝心のお前さんの方が、彼女一途ってわけじゃないだろう。毎日のように飲み歩いているし、誘った俺が言うような事じゃないかも知れんが、この前は酔っ払い過ぎて何日も仕事を休んだぐらいだ。幻滅されてもおかしくないところだが、どうだ? 彼女から何か言われたか?」
 鹿嶋は首を横に振った。普通はこんこんと説教をされるか、どやしつけられてもおかしくないところだが、妻は一切そうした反応をして来なかった。
 それどころか、心配そうな表情すら見せていない。
 一般的な包容力、心の広さの範疇で、こうした結果が生まれるものだろうか。
 さらに言えば、鹿嶋には妻の親に関する記憶が一切なく、もちろん挨拶に行ったこともなかった。
「な、何も言われていません。彼女の実家も、どうだったか、あんまり覚えていなくて……」
「ううむ、やはりか。何か妙なんだよ。もちろん心が広いってのは美徳だが、常識的なレベルを超えていると、ちょっと気味が悪くなってくる。会社の連中にしても同様でな。連続欠勤の理由が飲み過ぎだって分かっていて、一言も注意しない、まったく不満の態度を示すことさえしないってのは、やっぱり何か変だぜ。会社の上層部としちゃあ金を払っているわけだし、同僚の立場からしても、鹿嶋のために仕事が止まったんじゃ、会社が潰れて失業しちまいかねないんだからな。上役の俺までまったく叱責がなかったってのは、どう考えても普通じゃねえんだ。金がかかってない部活の時だって、もっとシビアに動いていただろ」
「た、確かに、そうです……」
「社長も部長も、昔はこうじゃなかった。良くも悪くも常識的、と言うか社会人基準で四十点ぐらいの人たちだったし、自分にやや甘い分、部下には辛く当たるタイプのはずだったんだ。しかし、お前に対しての態度は違う。もっと言えば変わったという方が正しいか。お前の奥さんが持ってきたハーブティを飲んだあたりじゃなかったか。俺は席を外していたから飲んでないが、態度を変えるほどにうまかったのかも知れんが、怪しい。奥さんの態度も、ウチの社員たちの反応も明らかに理屈には沿っていない。目に見える理屈とは違う反応ってことは、隠された本当の理由があるってことになる。それは人の感情を操るぐらい強力なもので、しかも、その変化の軸には鹿嶋の奥さんがいる。正直、考えていて恐ろしくなったぜ。もし奥さんが本当に何かを考えているとして、その動機が純粋な愛情じゃなかったとしたら、命さえ危うくなることもあるんじゃないか、とね」
「お、思い過ごしですよ、先輩……。彼女に対しても失礼かなと思います」
 鹿嶋は口では否定したが、その実、背中にびっしょりと冷たい汗をかいていた。
 確かに、鹿嶋は今まで、妻から収入への不満を聞いたこともなければ、結婚以来、遊ぶ金に困ったこともなかった。
 その金はどこから出るのか。
 妻の実家が富豪でまったく心配せずに済む身分だったのかも知れないが、鹿嶋は妻の両親に挨拶に行ったこともないし、妻からその存在を聞かされたこともなかった。
 富豪と言うほどの社会的地位があり、しかも結婚後も全力で支援する気でいる娘と結婚するにあたり、結婚式どころか一度も挨拶にさえ来ず、連絡も寄こさないという相手の態度が認められるものだろうか。
 しかも妻は一切仕事をしている素振りを見せていないし、ネットにも疎い。
 とても大金を稼いだり資金を運用したりして大儲けできるような身分ではないはずだ。
 夫婦一生分の生活費をまかなえるほどの大金を宝くじで当てたとでも言うのだろうか。いや、それも現実的な話ではないだろう。
「当然、今のままじゃあ水掛け論になるだけだ。だから俺は一計を講じたのさ。妙な状況の中心に彼女がいるなら、彼女の本音を引き出してやらなくちゃならない。そのためにいくつか仕掛けを用意した」
 黒川はそう言って、右手の指をぱちりと鳴らしてみせた。
 すると、店の奥から、派手で露出度の高い装いをした、色気に満ちた美人が二人ほど出てきて、鹿嶋の両隣に座った。
 女性たちは、艶然とした笑みを浮かべながら、鹿嶋に腕を絡め、しだれかかってくる。
 ほんのりとした甘やかな香水の匂いが、鹿嶋の鼻腔をくすぐってきた。

 

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