幻創文芸文庫 (β)

小説好きの創作小説を無料配信*スマホ対応

ノンジャンル

寛容な妻 寛容な会社

   2016年8月26日  

 結局鹿嶋は、その後も「仕掛け」を続けることになった。
 すなわち、「オールトゥギャザー」に通い詰め、黒川の知人である女の子たちといちゃつくということを繰り返していたのである。「ますます変だ。何か思惑があるのかも知れんし、単純に見落としているのかも」と、鹿嶋の妻の反応を耳にした黒川が言ったためだ。
 実際、反応が明らかに妙だということは鹿嶋も気付いていた。
 たとえば、酒と香水の匂いをふりまきながら直接会社に出向いても、上司や同僚は何も言わないどころか、嫌な顔一つ見せない。「普通の反応」を取り繕うために注意するという形にすらなっていないのだ。
 つまり彼らは明らかに異様であり、その異様さを隠そうともしていないわけだ。
 さすがにここまで来ると、万事大雑把な鹿嶋でも異様なものを感じざるを得ず、会社になど出たくない気持ちでいっぱいになってきた。
「ああ、参ったな、ここに長居しちゃあヤバいって分かってるのに」
「ふふ、鹿嶋さん、せっかく来て下さったのにそんな暗くちゃ、楽しめませんよ」
 それはそれとして、鹿嶋は日増しに強い焦りと後悔の念に苛まれていた。
「オールトゥギャザー」で飲んでいても、まったく役得感を味わうどころではない。
 会社の人たちが明らかに鹿嶋に対して異様である以上、別の場所に身を移して心を落ち着けるしかないが、未だに小言一つ口にしない妻を信頼し切れていない部分もあるので、家にも居着きにくい。かと言って、酒場に入り浸っていては、素晴らしい女性に捨てられてしまうのではないかという不安と申し訳なさが日増しに強くなってくる。
 そもそも、会社の連中が悪巧みをしていたとして、妻もまた、鹿嶋を裏切っているという確証はないのである。
「なあ、聞いてくれよ。俺は『三千度回り』をやったんだ。部活の間だけじゃなくて、社会人になってからも何年もかけて。いい彼女が来てくれるようにって念じ続けてよ。それでようやくあいつと知り合えたんだ」
「ふふふ、もう何度も聞きましたわ。それより、奥さんと普段どうお過ごしになっているかが知りたいわね」
「黒川先輩が来たら言うよ。まったく、あの人もあの人だ。人を焚きつけるだけ焚きつけて、自分だけさっさと有給取ってどっか行っちまうんだもんな」
 店のVIPルームで、鹿嶋は女の子たちに向かってクダを巻いていた。
 黒川とはもう半月も会っていない。黒川は突然溜め込んでいた有給を取り、姿を消してしまったのである。
 海外に行ったのではと社内では噂されているが、携帯はつながらずメールも返信されないので、まったく所在は掴めない。
 こうなると困るのは鹿嶋である。当面の「活動費」は支払ってあるということなので、店での出費を気にしなくてはいいものの、どうすればいいのか、まったく見当もつかなくなってしまった。謝るには作戦開始から時間が経ち過ぎていたし、仕掛け人である黒川がいないのでは、冗談だと言っても説得力が生じない。妻の方も不気味なほどに態度に変化はない。こうなると、気付いていないのではなく、内心完全にキレていることも考慮に入れなければならないが、事を収められる言葉が見つからない。「内心怪しんでましたすみません」などと切り出してしまっては、もはや離婚は不可避だろう。
 しかし、失敗したからと言って諦められるような女性ではない。
 高校の時、ロードワークのコースから少し離れた、切り立った崖のようになっている山道の影に、巨大な木の根が絡まり合ったようなものがあった。
 「丸樹さん」とかつては呼ばれていて、そこらのお社よりもはるかにご利益がある、かも知れないといったことを、珍しくサボりに来ていた黒川から聞いた。
 それがきっかけだった。以来、鹿嶋は、毎日練習を抜け出しては「丸樹さん」をお参りし、「理想的な彼女が欲しい」と念じ続けた。
 部活ばかりで遊ぶ暇などまったくなく、体力だけを持て余しているような青春の中では、そうした手間をこなすのもまったく苦痛ではなかった。
 それどころか鹿嶋は、学校を卒業してからも一日も欠かさず「お参り」を続けた。
 就職でも彼女作りでも手ひどい失敗をした上、部活の仲間とも離れた今となっては、単なるフカシかも知れない黒川の言う「ご利益」が、もっとも現実的な選択枝に思えて仕方なかったのである。これだけ冴えない生活をしていても、あらゆる面で理想的な、しかも決して自分を裏切らない恋人がいれば、出世ができるぐらいに頑張れるかも知れない。
 いやそもそも、その彼女が大金持ちで自分に尽くし続けてくれるなら、出世したり大金を稼ぐ必要もない。
 過度に気が抜けないぐらいの仕事があって、良い人たちばかりの職場にしがみついていれば十二分に満足できる。
 そんな邪念にまみれたような「お参り」を、結局鹿嶋は三千日間、一日も休まず続けた。
 雨の日も風の日も、まったく気にすることなく、何かの磁場に引かれるように、頭を下げ続けた。
 そして、「三千度回り」を達成したその帰り、今の妻に声をかけられたのだ。
 あの電流が走ったような感覚を、鹿嶋は今でもありありと思い出すことができる。
 ルックスも物腰も、あらゆる面で鹿嶋の理想通りの女性が、控えめながらも明らかな好意を持って話しかけてくれたのだから。
 何を話したか、もっと言えば結婚までどんな経緯を辿ったかすらその衝撃に食われて記憶が曖昧になっているが、いずれにせよ、この出会いが「丸樹さん」のご利益であったことは明らかだろう。
 そんな巨大な縁を、今更切り捨てることなどできようはずがない。
 しかし、彼女の悪意が強過ぎ、自分が死んでしまうようなことになったら元も子もないのも確かである。

 

-ノンジャンル


コメントを残す

おすすめ作品

南関東文科大学 タイムカプセル発掘隊 第四話 企業内要塞学校(11)

失うものは何もない

立ち枯れ 5

幻影草双紙63〜千両箱〜

綾乃さん 第四回 遺書