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ベストセラーネーム 匿名売れっ子作家は同姓同名

   

不良を脱し作家を目指してもう五年になる有沢 治は、憧れている小説家にならって一月ものカンヅメ生活を続けた帰り道、TV局の取材班に取り囲まれる。

明らかに本物と分かる機材を携えた彼らは完全にヒートアップしていた。どうやら、知らない間に「アリサワ オサム」を名乗る匿名の誰かが、衝撃的なノンフィクション作品をいくつか出版し、大ヒットしていたらしい。

取材者たちを相手にせず帰宅した有沢だったが、実際、「アリサワ」の話題性は物凄く、TVも新聞も彼の話題で持ち切りである。一方、有沢の傍らには編集部から使えないとの烙印を押されるだろう原稿の束が山積みになっている。そして、各種料金の支払いを迫る督促状は、原稿に迫るほどの高さにまでなっていた。

思案の末有沢は、「アリサワ オサム」と表記して原稿を持ち込むことに決めた。自分の名前をカタカナに開いただけのことでありなりすましとは言えず、経歴を表記する義務もない。完全匿名の「アリサワ」だと思って読者が買うのは、そうした正当な行為の結果に過ぎないだろうと思ったのである。

その結果、有沢の書いた小説は、刺激的な話題作を連発する「アリサワ オサム」人気に乗っかる形でベストセラーになった。当然有沢はプロ作家としての実績のみならず巨額の印税を手にし、今までとはまるで違う贅沢な生活を始めることになるのだが……

 

「……ちっ、やっぱりダメだ。どうしても仕上がりが良くならねえ」
 今年で三十五歳になる有沢 治は、プリントアウトされた百枚ほどのA4用紙をめくり終えると、首を振りながらぼやいた。
 用紙に書かれているのは、小説である。
 一月もの時間の全てをつぎ込んだこともあり、一応形にはなっている。読む人が読めば、プロ的な技巧が散りばめられているのも見えてくるはずだ。
 だが、それだけだ。
 国内外のマフィアをテーマにした犯罪ものというありふれた作品であり、主人公も敵も、どこかで見たことがある感じが漂っている。
 作中世界や結末にも、特に意外性やオリジナリティがあるわけでもない。
 誤字や脱字はないが、はっとするような言い回しやレトリックが使われているということもない。
 つまり、この、ひと月を丸ごと費やして書かれた「見えざる武器たち」は、まったく月並みな作品なのである。
 しかも、有沢の技量やセンスの関係から、かなりイマイチな方の月並みというレベルである。
 そうした現実を目にする度、有沢は自分の過去を後悔せずにはいられなくなる。
 やりたいことが見つからず、三十近くになるまで町のワルたちとつるみ不良をやっていたことと、出力された原稿の不出来さにはかなりの関係があるはずだ、と、有沢は考えてしまう。
 実際、学生時代から三十近くになるまでは、ずらずらと文字が書かれた本など、たとえ教科書でも一切読んでこなかったのである。だからこそ、ワル仲間の家でめくってみた文庫本の記述に、今まで経験したことがないほどの衝撃を覚え、作家になることを志したという面はあるにせよ、夢ではなく実際の目標として「作家」という職業を目指している都合上、読書経験の無さは大き過ぎるほどのウィークポイントとなってしまっているのは痛過ぎる。
 しかし、だからと言って経験を積むのを気長に待っていられるほどの余裕はない。
 既に、三十代前半という充実した五年間を、作家になるという目標のために費やし切ってしまっているのだ。
「まったく、どうしたもんだろうな。宿賃の代わりに原稿を置いていくなんてこともできねえし……」
 有沢はぼやくのを止められなかった。
 画面ではなく用紙に印刷された原稿を読んでも、やはりデキが良く見えるなんてことは起きなかった。
「考えてもしょうがねえな。一眠りするか……」
 一旦原稿の手直しをするのを諦め、有沢は自室に戻ることにした。
 諸々の支払い等々を済ませるには、とりあえず身の回りの物を整理する必要があったことも理由の一つだった。
 幸いと言うべきか、不良を脱して作家になると志してから五年の間に収集した資料や図書類だけでもかなりの数に上る。
 もっとも、仕事の代価の多くを費やしかき集めたそれらの材料を小説に活かせたことは、今のところほとんどない。
 惜しくはあるが、必要な生活用具を買うためにも手放さなければならないだろう。
(1)

(ん……? 見慣れねえ連中だな)
 どの本から売りに出そうかと思案にくれながらアパートに戻った有沢は、自分の部屋の扉の前で何人もの男女が集まっているのを目にした。
 喧嘩の報復かとも思ったが、彼らはまったく暴力的なオーラをまとってはいない。
 だが、その代わりにピリピリとした雰囲気を滲ませてもいた。
 一方の有沢は、今まで原稿に没頭していた疲れから、足音を忍ばせるといった最低限の注意を働かせることも怠っていた。
「おおっ、いたぞっ」
 ごく密やかながら待ちに待ったような威勢が込められた囁きがわずかに漏れたかと思うと、狭い通路にたむろしていた男女が一斉に有沢の方へ向かってきた。
 笑みを浮かべている女性もいるが、一目で作り笑いだと看破できるほどには、彼女たちの目には余裕がなかった。
「すみません、いきなりで。アリサワ オサムさんですよね」
 集団の中で一番年長に見える初老の男性がずいっと進み出て、声を発した。
 口調は穏やかで物腰も丁寧だが、根拠のない否定をさせないというだけの意思の強さがありありと伝わってくる。
 この分では、仮にとぼけても後々面倒なことになるだけだろう。
「ああ。そうだ。俺が有沢だ。んで、何の用だ。アパートの住人が何かやらかしたってのか。生憎だが、何を聞いても無駄だぜ。取材ならきっちり、当人に接し続けるんだな」
 有沢は、至ってぶっきらぼうに応じた。
 しかし、その答えを聞いた瞬間、狭い通路に詰めていた集団は、さらに勢い付いた。
 有沢を取り囲むようにしながら、次々に質問をぶつけてくる。
「この前の著作で書かれていたことは本当でしょうか? 各国政府にとってかなり刺激的な内容が含まれていましたが……」
「映画制作にあたりトラブルが発生したという噂もありますが、本当でしょうか」
「あの文学賞の審査委員に就任するという話が漏れ聞こえていますが……」
 どうやら、狭い通路に密集した男女はマスコミ関係者らしい。
 彼らはマイクやICレコーダー、カメラなどを手に、口々に色々なことを言っている。
 かなり興奮しているらしいことは見ていて分かるが、それ以外のことは有沢にはまったく分からない。
 心当たりがないのだ。
「何のことだ。まったく知らん。映画だとか政府だとか、人違いも甚だしいぞ」
 有沢は否定したが、記者たちが引き下がる気配はない。
 待ちに待った相手を目の前にしていると思い込んでいるらしく、何としても食らいつこうという構えである。
「ちっ……、どけっ! てめえらっ、怪我したくなかったらな!」
 仕方なく有沢は、不良をやっていた頃のように凄み、記者たちの群れをかき分けていった。
 ド迫力の声を浴びせられかけたからか、さすがに進路妨害をする者はおらず、有沢はどうにか玄関のドアを開けて、自室に戻ることができた。
 何の展望もなく、持ち物を売るための帰宅ということで正直かなり足取りは重かったが、今となってはほっとする感情が出てきたりもする。
 もっとも、記者たちが詰めている可能性が高いため、蔵書を売ったりコンビニに食事を買いに行ったりといったことはしばらく避けた方が無難だろう。
「まったく、何なんだよあの連中は……」
 することがなくなってしまった有沢は、ぼやきながらTVのスイッチを入れた。この時間であれば大方の局はワイドショーをやっているはずだだと思ったのである。
 実際、画面にはお馴染みの司会者とコメンテーターが映し出された。見慣れた司会者がいつもの調子で話題を切り出す。
「さて、今週も売り上げランキングベストスリーを独占したのが、ご存知、アリサワ オサム作品です。毎週紹介していますので言うことが少なくなってきましたが、やはり面白い。まったく明らかになっていない経歴を見透かせると言いますか、作品全体だけでなく、作者の背景まで滲んでいるのが興味深いところかと」
(2)

 司会者の席のすぐ前に積み上げられた分厚い三冊の書籍を見て、有沢は思わず声を上げてしまった。
 著者名が自分とまったく同じなのだ。
 しかし有沢には、画面に映っているような作品を書いた覚えはないし、もちろん出版社に送ったという記憶もなかった。
 司会者はさらにテンションを上げて続ける。
「そのアリサワ氏についてですが、どうやら進展があったかも知れません。○県△市に、アリサワ氏らしき人物が存在すると情報が入ってきたんですね。何でもその方は、文筆業をなさっているそうで、しばしば家にこもり、あるいは近くのホテルでカンヅメの生活を送ることもあるとか。まだ確認が取れたわけではないので断言はできませんが、我々の考えるアリサワ オサム像に近いのではないでしょうか。少なくとも、愛想良く接客業をしている青年というよりは……」
「……なっ!?」
 画面がぱっと切り替わった瞬間、有沢は思わず目をむいてしまった。
 TVに、今、有沢が住んでいるアパートが大写しになったからである。
 さすがに場所の詳細や建物の名前まで表示されることはなかったが、完全に有沢が「アリサワ オサム」だと踏んでいないとここまで報じられることはないだろう。
 しかし、有沢にはまったく心当たりがない。
「どうなってんだ、こりゃ。異次元世界にでも迷い込んじまったわけでもねえだろうに」
 さすがに気持ち悪さを感じた有沢は、この現象についての情報を集めることにした。
 幸い、ネットの契約はまだ切られていなかったので、TVを見続けたり外に出たりせずともいくつかの情報を得ることができた。
 マスメディアの報道を総合すると、どうやらこういう話であるらしい。

1 一月ほど前に、いくつかの出版社から本が発売された。その内容は刺激的で、かつ非常に面白く、瞬く間にベストセラーとなった。

2 その本の著者は「アリサワ オサム」と名乗っている。氏名以外、一切のプロフィールは非公表。対外的にはもちろん、本を出して貰う出版社に対してもまったく正体を明かしておらず、そのためか、基礎的なパーソナルデータさえも人の注目を集める材料となっている。

3 ○県△市には、「有沢 治」がいた。その有沢は心得があるらしく、執筆に没頭し、ホテルにカンヅメになることもしばしばだが、何を書いているかはまったく分からない。

4 作品がこうして世に出ている以上、絶対に「アリサワ」はいるはずだ。そう思ったメディア関係者が、「アリサワ」に当たりをつけ、アパートの前にたむろしていた。

「……まったく、迷惑かつ物騒な話だな」
 状況を整理し終えた有沢は、深くため息をついた。
 ただ、壁や床を殴ったりはできない。恐らくまだ記者たちが潜んでいるはずだと考えると、格好のネタにされかねない。
 しかし、「アリサワ オサム」を名乗ることにした誰かを責めても仕方がない。
 現実にありそうな名前をペンネームに使うことなどごく当たり前の話でしかないし、プロフィールを公開しないことも、当然に認められた、言わば「作家の権利」の一つであろう。
 そうした当たり前が偶然、有沢に面倒をもたらしたに過ぎない。もっと言えば、有沢がかつて散々「やんちゃ」をしてきたというような事情から付けることに決めたペンネームを使わず、堂々と本名で投稿やネットへのアップといった作家活動をしていれば、著者は、自分の正体を隠すために有沢 治という名前を使ってはいなかったかも知れない。
 その辺りの事情からしても、恨む筋合いではないだろう。
「しっかし、同じ名前でも随分差が出ちまってるよな。少しぐらい俺に利益が還元されてくれりゃあいいのによ」
 ただ、頭では分かっていても、どうしても感情的には消化し切れない部分はある。
 何しろ、まったく同じ名前なのだ。にも関わらず、有沢はもう五年間もまるで結果を出せておらず、一方の「アリサワ オサム」は相次いでベストセラーを出版しているのだ。
 努力してきた自負がある分、有沢は素直に割り切れなかった。
(3)

「……そうだよ、利益を還元して貰えばいいんだ」
 彼の精神を覆うモヤモヤが、形となって口をついて出た。
 と、同時に思考が具体性を帯びてくる。
 なるほど、確かに今自分が取り組んでいるのはプロになるための修行であり、カンヅメの末完成させた「見えざる武器たち」も、今まで書いてきた他の小説も、仕事として考えるとかなり水準に難があるはずだ。
 事実、今までコンテストで通ったことはなく、それどころか最終選考にも残ることはなかった。
 それが有沢 治という一人の作家志望者の現在のポジションであり、作品の商業的価値だった。
 だが、書いているのが「アリサワ オサム」だったらどうだろう。
 わずか一月でいくつもの大ベストセラーを飛ばし、各国政府さえ動揺させている超級の作家だったとしたら?
 恐らく、多くの読者は著者の名前を「信頼」して本をレジに運ぶはずだ。
 純粋に作品を楽しむだけじゃなく、「アリサワ」がどんなものを書いたのか知りたいという人も本を買うだろうし、評論や批判を目的とする人も無視はできないだろう。
 仮にいくらかのキズが作品に残っていたとしても、そこは問題にもなるまい。
 つまり、「アリサワ作品」であれば、商業的な成功は半ば必然とさえ言える。
 そして有沢は、まったく矛盾なく、知名度に乗っかれる条件を満たした、極めて珍しい一人だった。
 ペンネーム化に際して、本名をひらがなやカタカナに開くことは特別なことではないし、余計なことを書く必要もない。
 何せ、「アリサワ」は一切のプロフィールを公開しているわけでもないので、有沢が顔写真はもちろん経歴を完全に秘匿したままで作品を出しても、そこに後ろめたい点はない。
 要するに「有沢 治」は、「アリサワ」という天才が出現したことにより、一切の努力もせずに、合法的に知名度に便乗できるという好機に巡り会えたというわけだ。
 であればもはや、まったく関係のないペンネームを使って正体を隠す必要などない。
「ようし……」
 有沢は、目をぎらつかせつつ持っていたUSBをパソコンに差し込み、「見えない武器たち」の著者名を、彼本来の名前へと変えていった。
(4)

──先月発売された「見えざる武器たちⅤ 南国争奪」は、そのバイオレンスな全容にも関わらず安定した内容だと言っていいだろう。アリサワ オサムの裏側の顔、言うならば彼の前史に踏み込んでいると思わせる本作は、アリサワ作品の読者にとって必携だろう。ただ、さすがに五作目ともなると、脚色めいた部分が増えているようにも感じるが、先般決定したVシネマ化などを考慮するとむしろふさわしいとも言えようか。今年中に発売されるらしい外伝では、登場人物のまた違う姿が書かれるということなので、そちらの方も心待ちにしておきたい──

「ふふ、悪くねえな」
 有沢は、自著について書かれた紙面を眺めつつ何度も頷いた。
 何度経験しても、自分の書いた本が書評欄で紹介されているのを見るのは気分がいい。
 実際、よく見るとほとんど褒められていないのは気がかりであるにせよ、全国の書店で平積みとなり、さらにこうやって新聞でも取り上げられたとなれば、かなりの売り上げは期待できる。
 少なくとも続刊が出るぐらいの期待は持てるはずだ。
 ベストセラー作家のペンネームに乗っかり、「アリサワ オサム」を名乗るようになって三年、有沢は今や専業作家としての地位を確立するまでに至った。
 とにかく作品を仕上げればどこかの出版社が本にしてくれる、しかも、他の一般的な新人よりもはるかに優れた条件で、労力も傾けてくれるという優遇ぶりを前提にしてはいたが、それでも「見えざる武器たち」シリーズを自分が不良の頃の経験を下敷きにして書き上げたからこその成功である。
 プロとしての自覚が芽生えるとともに、車を新調し、ローンで家まで買った。
 自宅に導入した。大量のトレーニング機器を使って体を鍛え込むのが日課だ。
 彼女もおらず特に趣味もない有沢は、仕事をしていない時はとにかく肉体を逞しく仕上げている。
 そのことが生来の強面ぶりをより強調し、作家としてのキャラクターを明確にしているわけで、満更徒労というわけでもない。
「アリサワさまさまってやつだな、本当に。俺が言うのも何だけどよ」
 まったく芽が出ない小説家志望者を、サイン会やTV出演までやるような第一線級の存在にまで引き上げた功労者、「アリサワ オサム」は、驚くべきことに、未だに現役で作品を発表し続けていた。
 現代の国際社会を舞台にした小説からドキュメンタリー仕立てのものまで様々だが、いずれも息を呑むほどのリアリティーがあり、溢れんばかりの才能が感じられる作品で占められている。
 実際に仕事で文章を書く立場になったからこそというわけではないが、有沢には百年経っても書けないと感じさせる小説を出しているのである。
 もっとも、長年にわたる多作が粗製濫造につながっているのかどうか、最近では驚くほどチープな作品も出るようになってきた。
 売り上げこそほとんど落ちていないが、新聞の書評欄やネットなどで叩かれるケースも少なくないようだ。
「アリサワ」の評判が下がると、有沢の仕事にも影響が出るので懸案事項ではある。
 もっとも、未だに正体がまったく分からない「アリサワ」に直接注進できる方法など存在しないだろうし、知名度に乗っかっている有沢が意見するというのも筋違いな話なのかも知れないが……
「おっと、いけねえ。そろそろ出ないとな」
 壁に掛かった時計を見た有沢は、余韻に浸るのを止め立ち上がった。

(5)

 有沢は、適当にスーツを羽織って出かけることにした。
 近所の書店のサイン会に呼ばれているのである。客としての行きつけでもあるし、遅刻するのはまずい。
 サイン会も五回目となるといい意味で慣れっこというやつであり、余裕を持った立ち回りができるようになる。
 有沢も、色紙に自分の名前を書くだけではなく、ファンとの会話を楽しんだり握手したりと、十分なサービスができるようにもなった。
 本業ではないとは言え、うまくイベントを仕上げられたとなれば、当然達成感がわく。
 だから当然、書店員たちとの打ち上げも大いに盛り上がった。
「いやあ、今日は本当にありがとうございます。アリサワ先生のおかげで、ウチの店の認知度もアップしましたよ」
「それは良かった。私も元々、本を書く側じゃなく読む側だった。だから書店という存在は本当に特別なんだ。最近、本が売れないって話だが、少しでも力になりたいと思うね」
 恐縮し切ったようにしている書店員たちが、有沢の言葉に感激する。
 その空気は有沢にとって、まったく有難いものだった。
 ほんの数年前まで、高い本を買うことができず、諦められないまま本屋をうろつき、店員から白い目で見られていたのである。
 それが今では、何も特別なことを言わなくても皆に尊敬され、感激される。
 ずっと味わっていたい感覚だったが、欲張りなところがある有沢は、さらにもうひと押ししてみることにした。
「どうだね、私の本は、君たちのお役に立っているかな?」
「も、もちろんですっ。自慢じゃありませんが、今やウチの売り上げの二割近くはアリサワ先生の著書で占められています。もし先生がいなかったら、今頃店はどうなっていたか」
 すると即座に答えが返ってきた。
 問いに応じた店主の声は、感激で湿ってさえいるようだった。
 彼の言う「アリサワ」作品は「見えざる武器たち」だけではなく、「アリサワ オサム著」とされる全般だろう。
 つまり有沢は、実績に比して過剰な敬意を受けていることになるが、無論訂正はしない。
 今は、甘んじて優越感に浸っていればいいのだ。
「んん……?」
 と、その時、有沢の作家としては特別に優れた視力が、自分たちが座っているテーブルに向かって、遠くからチラチラと睨みをきかせてくるグループを発見した。
 人数は、三人。二十歳になっているかどうかも怪しいぐらいの若者で、居酒屋に出入りしているというだけでワルになった気になれるような連中だろうが、イベントの成功のために騒がしくなっている有沢たちに絡もうとも考えているようだ。
 必勝の信念などあるわけはないが、まさか負けはしないとタカをくくっているらしい。
 目の色や表情からも、そうした緩さがありありとうかがえる。
「ふん……」
 不調法な若いワルたちに有沢は威嚇するのではなく薄く笑って応じた。
 そして、立ち上がって機先を制する代わりにシャツのボタンを外し、袖をまくり上げて右の拳をぐっと握り込む。
 直径六十センチを超える上腕の筋肉が盛り上がって硬直し、丈夫な高級シャツに、内側から破らんばかりのプレッシャーを加えていく。
 その肉の迫力を目の当たりにした若者たちは、「ひっ」と小さく息を飲むと一斉に立ち上がり、そそくさと店を出て行った。
 この分なら、店外で待ち伏せなどという無駄なことを思いつく余裕もなかったはずだ。
 トレーニング機器で体を鍛え抜いたことが生きた感じだが、そもそも、高額収入を得られたからこそ導入できたわけで、「アリサワ オサム」として作家をやっているが故の役得だと言えるかも知れない。
 そう思うと、有沢はいよいよ、笑いを抑えられなくなってきた。
「今日は実に気分がいい。もしよろしければ、ここのお代は私に支払わせてくれ」
 有沢の申し出に店長は恐縮し、他の店員たちは顔に喜色を浮かべた。
 そうした細かな感情の動きさえ、今の有沢にとっては嬉しくて仕方がなかった。
(6)

「何度仰られても……。これは社上層部の決定なんです。私の一存ではどうにもなりません。先代の担当者も退社してしまいましたからね……」
「言いたいことは分かる。だが、俺にだって生活はある。今までの実績を見て欲しいんだよ。ドラマにもなったし、漫画化だってされた。まだやれるはずだ。話のストックだってあるんだ」
「しかし、本当にまずくなってからでは、ウチで仕事をしている作家さんたち全員に影響が行きます。会社だって傾きかねない。だから社長は決断したのだと思います」
「見えざる武器たち」がVシネマ化されて五年となるその日、有沢は必死に携帯電話を握っていた。
 やり慣れたはずの担当者との交渉も、今日ばかりは普段の雰囲気とはまるで違う。
 出している本は全て絶版、新刊の発売も行わないと通達されたのである。
 雇用関係にはないが、完全な「首切り」と言っていい。
 しかも、有沢は、いくつもの出版社から同じことを、ここ三ヶ月ほどで言われているのだ。
 アリサワの名に乗っかった結果とは言え実績を上げていた人間に対するには、いくらシビアなプロの世界とは言っても不自然なものがある。
 だからこそ、有沢は諦めずに食い下がっていた。
 直接の対面を断られてもなお、電話越しに声を浴びせかけているのだ。
「この際だから言いますけどね、アリサワさん」
 五分ほどの実りのないやり取りの末に、担当者はため息をつき、声を硬くした。
「最近のあなたの仕事、良くないですよ。同じような話、同じような展開の繰り返しだし、技術的な進歩も見られません。成長の兆しがあれば我慢もできますがね、でなければ一冊あたり五十万からの赤字を見過ごし続けるのは難しいですよ」
「しっ、しかし、そのことが過去の作品を絶版する理由にはならねえよな。今の俺がどうでも、出来自体は変わらねえんだから。アリサワのブランドもあるし……」
「その名前が問題なんですよ、今やっ!」
 ついに担当は声を荒らげた。しかし、冷静な彼らしく、すぐに口調を平静に戻して続けた。
「いえ、失礼しました。あなたに直接責任のあることじゃありません。しかし、今や『アリサワ オサム』の濫用は恐るべき状態にありますよ。先月など、五十冊近くも『アリサワ オサム著』とする本が出版されました。無論、一人、いや、二人で書くのは無理な量です。しかもそのうちの九割以上は、とても金を取っていいようなものとは言えないものです。未だに驚くようなレベルの作品もありますが、今や『アリサワ オサム』著と称する本を見ただけで、読者は買うことをためらいます」
 ううむと有沢は唸った。反論ができなかったからだ。
 実際、街の本屋にも電子書籍販売店にも、今や「アリサワ オサム著」とされる本が溢れている。
 言うまでもなく、世界中に衝撃をもたらしたデビュー作の刊行以来、現在に至るまで物凄いレベルの著作を世に出し続けている匿名の大作家、「アリサワ」の知名度を利用しようという試みである。かつての有沢がそうだったように、楽をして自分の身の丈を超えるだけの成功を得ようとする人は極めて多かったし、彼らの怠惰な気質を示すように、彼らの多くは作家になるための技術的なステップをこなしているとは思えなかったし、特別な情熱も感じられなかった。
 もちろん、都合良く自分の名前が「アリサワ オサム」だったりするようなこともなかったはずだ。
 こうした、半ば必然的な状況により、「アリサワ オサム」名義の質の低い作品が世に溢れ、多くの読者が納得のいかない品を掴ませられるという事態が続発することになった。
 本来、こうした事態を防ぐために「なりすまし禁止」の規定が世に備わっているはずだが、乗っかられている「アリサワ」には、本人を証明するだけの一切の情報が存在していない。
 年齢や性別、経歴に交友関係……、それらすべては完全に謎に包まれ、本人と称する人間に会ったという関係者さえいないために、誰が名乗っても「他人になりすました」と証明するのは難しい。
 となると当然、読者は自衛策を取ることになる。
 特別に迫真性があり、あるいは興味を惹くような内容でなければ多くの読者は信用できない「アリサワ」作品を遠ざける。
 仮に手に取っても、ネット上の匿名の書き込みと同じぐらいのものとして考えてから買うかどうかを決めるという形になってくる。また、そうした読者が過度のリスクを負うような作品を出し続けることを出版社側も敬遠し始める。
 かつて、まったく無名の新人だった有沢をスターダムにまでお仕上げた「アリサワ オサム」という著者名義は、今や大きなマイナスの要素として機能するようになってしまっていた。
 しかし、有沢には何も言う資格などない。元々、彼が最初に人気に乗っかろうとしたのである。
(7)

「いずれにせよ、我が社は有沢さんとご一緒に仕事をすることは今後、恐らくないでしょう。長い間、ありがとうございました」
「ま、待ってくれっ。だったら、まったく別のペンネームを使って仕事をするってのは……」
「失礼します」
 考慮に値しないという本音をありありと滲ませる一言とともに電話は切れた。
 予想していたことだが、有沢は激しい虚脱を感じていた。
 最も親しい出版社からの答えがこうである以上、どこに行っても結論は変わらないだろう。つまり、作家、有沢 治は完全に仕事を失ってしまったということだ。
(やべえなあ、どうしようもねえよな……)
 有沢は、携帯電話を眺めながら途方にくれた。
「アリサワ オサム」として過ごし、十冊ほど出版にこぎつける中で、経験は身に付いた。
 しかし元々、デビューにはまるで届かない実力だった上に、プロになってからも別人の「名前」に完全に頼り切り、とにかく楽をしてきたという現実がある。
 根本となるような技術は身に付いていないし、完全に感性も錆び付いている。
 自力で何とかしようとやってきた分だけ、アマチュアの頃の方が勢いはあった気さえするほどだ。
 結局、有沢に残ったのは、老後まではとても持ちそうにない程度の金と、トレーニングマシンによって鍛えられた筋肉のみだ。自室でビールをあおっても、とても晴らせるような憂さではないが、これも自分の選択の結果である以上、受け入れる以外にない。
 たとえそれが、粗悪な「偽物」によって自分の将来を失うという結果であっても。
「しかし、あいつは一体誰だったんだ? アリサワ オサムは……」

 しかし、「納得」した有沢にも、理解できない部分が残っていた。
 今こうして有沢は、自分よりもずっと力の劣る偽者のために不利益を被っている。
 しかし、世界を驚かせたいくつもの作品の著者「アリサワ オサム」にしてみれば、そもそも最初に知名度に乗っかってきた有沢こそ、ずっと力の劣る、面倒で厄介な相手だったはずだ。
 にも関わらず「彼」は偽者である有沢を食い止めようとはしなかった。
 自分しか持っていない証拠を提示した上で、「見えざる武器たちを書いているのは私とはまったくの別人だ」と宣言すれば済むだけの話だったのに、そんな素振りも見せなかった。
 一体どんな人間なのか、考えれば考えるほど、分からなくなってくる。
「くっ、考えるのはもうやめだ。今日は出前でも取って豪勢に行ってやろうか」
 有沢は半ばヤケのようになって、傍らに積み上げられた新聞の束に、手頃な広告チラシが混ざっていないかチェックし始めた。
 彼にはほとんど余裕が残されておらず、故に、さっき郵便受けから取ってきたばかりの夕刊の記事内容を把握することができなかった。
 もっともそれは、有沢にとって不幸ではなかったはずだ。

──完全フルオート小説作成ソフト、完成 データ連動方式の導入で極めて高いレベルの執筆にも対応──

○○大学の開発グループが、五日、小説作成ソフトの開発に成功した。登場人物名や設定をガイドラインに沿って記入するだけで、誰でも簡単に小説を作り出すことができる。原稿用紙一枚未満のものから、全部で千枚を超えるほどの長編まで、スムーズにラストまでの展開を書き上げることが可能であり、ストーリーを自在に変化させることもできる。

さらには、ネット上データバンクと連動させることで、既存の作家のクセを完全に活かした、さらにレベルの高い作品を作ることもでき、重要な情報を作中に含めることも可能だ。

開発グループによると、すでに長年にわたる実験は済んでおり、その結果は近日中に公開されるという。また、発表の際、誰もが知っている作家についてのニュースも出るかも知れないと、開発主任の△△氏は語っている。

この発表を受けて、関係する各団体は、様々なコメントを発表している。実験用のコードネームは、日本人の姓名から取ったものであり……

 結局有沢はこの記事に気付かず、酔いに任せて熟睡してしまった。故にそれから長い間、一体何が起こっているかも、自分がカムバックできるチャンスが皆無なことについても気付くことはできなかった。

 

≪おわり≫

 

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