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歴史・時代

東京探偵小町 第零話「小夜時雨」 <後>

   

「そういえば……今日、銀座でとても珍しい人に出会ったよ」
「どなたです?」
「名探偵・永原朱門さ」

小説版『東京探偵小町
第零部―邂逅編― 第零話「小夜時雨」

Illustration:Dite

 

「やあ、永原くん。こんなところで行き会うとは珍しいな」
「道源寺警部」
 朱門が振り返るや、道源寺の隣の立つ青年が、緊張した面持ちで居住まいを正した。
「なんぞまた事件かね」
「いや、買物がてら、少し歩こうかと思ってね。警部こそ、何か事件でも?」
「いやいや、こっちも今日は平和なもんだて。そこの尾張町新地の派出所に寄りがてら、本庁に戻るところでな。おお、ちょうどいい、こいつを紹介しておこう。前に話した、例の北紺屋の若いのだ」
 道源寺は背後に控えていた青年を引っ張ると、この秋から部下になった新米だと言って、朱門に引き合わせた。
「巡査の柏田でありますッ、あ、あ、あの、お目にかかれて光栄でありますッ」
「なんだなんだ、その挨拶は。すまんな、憧れの永原探偵に会えたもんで、緊張しとるらしい」
「柏田くんか。道源寺警部のお眼鏡にかなったのなら、さぞ有能なのだろう。以後、よろしく頼むよ」
「ははは、はい!」
 耳まで真っ赤になって硬直する柏田を小突いて、道源寺は派出所での用事を言いつけ、先に警視庁に戻っているようにと指示を出した。そして朱門に向き直り、「たまには少し話さんか」と近くの珈琲館を指差す。誘いに応じて、朱門は道源寺と肩を並べて歩き出した。
「そういえば、君には話しとったかな。今度、新しい裁判医として、帝大の先生に入ってもらうことになった」
「それは心強い」
「まだ三十幾つの若先生でな。在外研究までしとった優秀な陸軍医だったんだが、例のシベリアの」
「ああ、もしや、シベリアで九死に一生を得たという、あの?」
「なんだ、知っとったんか。あんたの地獄耳には叶わんよ」
 苦笑しながら、珈琲館の扉を開ける。
 途端に、珈琲の良い薫りが二人を包んだ。
「今は予備役入りして、九月から帝大で教鞭を取っとるそうだ。常勤じゃあないようだが、まあ、体のほうはだいぶ良くなったらしい。そう、このあいだ会ったときは弟御を連れていたな。これが弟御といっても外国人の少年でな、驚いたんだが」
 やがて朱門と道源寺は老舗の珈琲館の一席に落ち着き、同じ銘柄の煙草に火をつけた。

「ほう。誕生祝いとは、またハイカラなもんだな」
 朱門から火をもらい受け、道源寺が美味そうに煙を吐き出す。
 二人が席に着くや、周囲から一斉に視線が集まり――今、それは二つに分かれていた。ひとつは帝都にその名を馳せる名探偵・永原朱門の顔に向かい、ひとつは道源寺の左頬にくっきりと残る、大きな傷痕に注がれる。それは左眼下から顎にかけての激しい裂傷で、道源寺のもともとの威容とあいまって、彼の見た目をことさら険しいものにしていた。

 

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