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歴史・時代

大正恋夢譚 〜彼岸花〜 <後>

   

「待たせたな。リヒト」
立ち上がったものの、こちらに近づけないでいるリヒトを差し招く。獣の勘なのか、わたしに対してわずかな緊張と警戒心をにじませているのが面白い。

小説版『東京探偵小町』外伝
―逸見晃彦/逸見晃彦―

Illustration:Dite

 

「国許の父から返書が来た。養子縁組を認め、死んだ『輝彦』の名を与えるそうだ。逸見、リヒト……輝彦か。フン、たかが犬の名には上等すぎる」
「……………………」
「リヒト」
「はい。御主人様」
「表向きはわたしの弟だ。『御主人様』はよせ」
「はい。…………兄、上」
「それでいい。来い、リヒト」
「は…………」
「何をしている。わたしを待たせるつもりか?」
「い、いえ、ただ…………」
「その物覚えの悪さにはうんざりするな。いいか、わたしの言葉は絶対だ。逆らったらどうなるか、もう一度、その身に刻んでやったほうがいいようだな」

 その肉体に深く潜り込んでいくに従って、肉体の持ち主の記憶が、こちら側に深く浸透してくる。幼い日々の思い出から、わずか一秒前の光景まで――すべてが鮮やかに映し出され、目の前にさらけ出される。
 この男が、次なる器に値するかどうか。
 それを見極めるために、目を凝らした。

「か……はっ……………………」

 男は、頭部と左上腕部、そして腹部に被弾していた。
 このまま放っておけば、あと数分で確実に死に至る。
 だが、わたしのような存在には、そうした肉体のほうが望ましい。「死の淵からの生還」は、時に人間どもの精神を大きく揺さぶり、奇妙に変質させるからだ。
 わたしが仮の宿りとして人間どもの肉体を支配するとき、多くは単なる気まぐれで取り憑き、短期間で使い捨てるが、まれに持ち主に成り代わって何十年も戯れることがある。持ち主の周囲を混乱に陥れ、苛み、不幸にまみれさせてやる――これほど愉しく、また我が主のお喜びになる暇潰しもあるまい。
『日本軍の将校か』
 わずか半月あまりで先の宿主に飽き、翼ある生き物を仮の宿りとして数日。人間どもの小競り合いを見物しているうちに、ふと、敵弾に倒れ、もはや死を待つだけとなった男が目に止まった。
『ほう、軍医とは珍しい』
 戦塵舞う大地に降り立ち、その肩先にとまる。
 見たところ、若すぎるという歳ではない。軍でもある程度の階級にある、いわゆる青年将校と呼ばれる部類だと思われた。
『悪くない。使ってやろう』
 男の首に「手」を伸ばし、侵入を開始する。
 途端にこの男の歩んできた道が、余すところなく示された。それと同時に、消えかかる最後の意識が、傍らを通り抜けていった。

(…………輝彦……リヒト……………………)

 不思議であり、滑稽でもあった。
 こうした瞬間、人間どものほとんどは、母親や情を交わした女を脳裏に蘇らせる。だが、この男はどうだ。
「弟と飼い犬――だと?」
 完全な侵入を果たし、この男の声で、思ったことを口にしてみる。それと重なるようにして、遠く、救援部隊の声が聞こえた。
「いい頃合だ」

 

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