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歴史・時代

東京探偵小町 第一話「新しい風」 <2>

   

その写真には、これから出会うことになる、二人の青年が写っていた。
「このお兄さんたち、ちゃんと迎えに来てくれるのかしらん。こう言ったら父さまに悪いんだけど、なんだかちょっと頼りない感じがするのよねぇ」

小説版『東京探偵小町
第一部 ―怪盗編―

Illustration:Dite

 

 一階のデッキに設けられた、明るいテラス席。
 よそゆきのワンピースに身を包んだ時枝は、汽笛の音に顔を上げて小さく微笑むと、再び便箋に目を落とした。柔らかな頬に心地よい潮風を受けながら、青インクの香りも高く、『春日丸』の刻印が入った白い便箋に鵞ペンを走らせていく。
「そうそう、昨夜のトランプのことも書いておかなくちゃ」
 便りを待つ弟妹たちのために、船旅の楽しさをできるだけ詳しく綴っていく。昨夜、たまたま食堂で隣り合った若い夫婦に誘われてトランプゲームに興じ、五番勝負で勝ち抜いたことを書き記して、時枝は軽く息をついた。
「あとは、日本での生活が始まってからね」
 時枝はペン先に最後のインクをつけると、上海に残してきた家族への、最初の便りを書き上げた。
「それでは母さま、どうぞお体をお大切に。時枝……っと」
 それとほぼ同時に、食堂と厨房とを繋ぐ、硝子格子の間仕切り戸が開いた。そこから出てきた白い詰襟姿の給仕が、時枝のテーブルに注文の品を置く。
「お待たせ致しました。オレンジエードでございます」
「ありがとう、ボーイさん」
「上海へ、お手紙でございますか?」
「うん、母さまと弟たちにね」
 そう言いながら、同じく『春日丸』の刻印が入った封筒に実家の住所を記し、封をする。まだ幼い弟妹はもちろん、上海きってのジャズシンガーとして多忙な日々を送る母も、日本に旅立った時枝からの第一報を心待ちにしていることだろう。もとより筆まめな時枝は、最初の手紙を、早くも横濱行きの船中でしたためたのだった。
「よろしければ、わたくしどもがお出し致しましょうか」
「ううん、いいの。あたしたちの父さまは日本人だけど、弟たちは上海生まれの上海育ちだから、まだ日本を知らないの。だから、横濱から日本の消印で出したいのよ。まだ日本に着いてもいないのに、お手紙も何もないんだけどね」
 苦笑交じりに言いながら、時枝は母から譲られたビーズ織りのオペラバッグに、書き上げた手紙を収めた。
「さようでございますか。二階のデッキに上がれば、じきに横濱港が見えて参りますよ」
「えっ、もう? なんだか、お船のなかを探険しただけで、旅が終わっちゃったみたい。ねえ、あとで船長さんに、くれぐれもよろしく言っておいてね。あたし、いっぺんでいいから操舵室を覗いてみたかったのよ。ほんと、『春日丸』って素敵ねぇ!」
 時枝を乗せた船が行く上海航路は、日本が誇る、初の海外定期航路だった。日本の表玄関である横濱と、列強租地がひしめく上海とを結ぶ、花形ラインである。
 この航路の開設以来、日本人にとって、上海は最も身近で親しみ深い異国になっていた。『下駄履きで上海へ』という謳い文句で知られる長崎・上海間なら、わずか一昼夜で行き来できる。思えば、今は亡き時枝の父も、この航路を愛用していたのだった。
「こうして毎日、海を眺めてお仕事をするのも素敵よね。あたしも、大きくなったら航海士になろうかしらん」
「お嬢さまでしたら、立派な航海士になれますとも」
「そう? ふふ、ありがと!」

 

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