幻創文芸文庫 (β)

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絵師

   

冬を迎える芸術の都で、画家を目指す二人の青年がいた。その一人、ロベルタは病に蝕まれ、もう長くはないと彼自身も彼の友人も感じていた。生と死を身に宿すそんな今のロベルタを見つめる友人は、ロベルタを「美しい」と言い、その姿を描き続けた。ロベルタはそんな彼に、ただ一つのことを望む。「僕が死んだら泣いて欲しい」と。

 

 ――あぁ、その絵かい?
 僕が描いたものだよ。もうずっと以前にね。
 子供の頃さ。
 大好きな叔父がいてね……彼は、自分で描いた絵を売って生計を立てていた。画家、ってやつさ。
 あぁ、有名な人だったらしい。
 名前を言うと大抵の人が、「あぁ、あの人か」と言うよ。
 その叔父が、僕は好きだったんだ。
 優しくて楽しくて、嫌な顔一つせず、いつも僕の相手をしてくれた。時々は、叔父のアトリエにも入って、その作業を横で眺めていたりもした……。
 だから、影響を受けたんだろうね。
 気が付いたら僕も、絵描きの真似事をするようになっていた。
 ……ん? そうかい? そんなに褒めて貰えるとは思わなかった。ありがとう。
 ……本当は僕自身もね……「画家になりたい」と……思っていた時期があったんだよ。
 ものを描くのは本当に楽しかったし、それで一日を、一生を過ごせたらどんなにか幸せだろう、と、そう思っていたよ。
 なぜそうしなかったのか、って?
 ……止められたんだよ。
 叔父に。
 一番の理解者になってくれるだろうと、思っていた、叔父に。
 止められたんだ。
 生活面において厳しいから、とかそんな理由じゃなくてね。
 彼は僕にこう言った。
 「喜びも悲しみもない、空っぽの人間になんかなろうとするな」。
 生真面目な顔をして、そう言ったんだよ。叔父は。
 だけど、僕もその頃はまだ幼くてね……意味のわからない言葉で、僕の理想を否定しようとする叔父に、ただ反発した。空っぽの人間になろうとしてるんじゃない。僕は画家になるんだ、とね。
 食い下がる僕に、叔父は渋々話してくれたんだ。
 叔父が、画家になりたがる僕を止めようとする理由を。
 叔父が言った言葉の意味を。
 ……ちょうど……ほら、この絵を見つめながらね……。
 綺麗だろう?
 叔父自身の他には、僕だけにしか、見せていないらしい。
 まるで生きているみたいに、見事な絵なのに……。
 この絵のモデルになったのは、叔父の親しい友人だったらしい。
 確か名前は、ロベルタ……。
 叔父は、寂しそうにこの絵を見つめながら、話してくれたんだ――

 冬の訪れは、空を見つめるだけでもわかった。
 寒々しい灰色に、空一面が染められているのだ。
 曇りガラスから見える、赤レンガの街並み。暖かな色を目に滲ませるその街並みを、すっぽりと覆う灰色の寒空。この窓を少しでも開ければきっと、冷え切った冬の風が旋風を巻いて室内に駆け込んで来るのだろう。
 木炭のペンが紙面を滑る音を傍らに聞きながら、風の冷気を思い浮かべ、ロベルタは想像の寒さに身体を震わせた。
「外は随分寒そうだ……なぁ、きみ。帰りには気を付けてお帰りよ。雪でも降りそうな空色だからね」
 窓に顔を向けたまま、灰色の空に囁き掛けるように、ロベルタは言った。
 ベッドのすぐ側にいる彼に。
 枕を背もたれに半身を起こすロベルタの姿を、手垢で汚れたボロボロのスケッチブックに、幾度も幾度も描き写す――画家を志す友人に。
 彼は、ロベルタの古くからの友人だった。
 共に絵画の勉強をし、共に画家を目指し、共にこの芸術の都で暮らす、無二の親友。
 ロベルタが体調を崩して外出が出来なくなってからは、毎日こうして部屋にやって来て、彼を元気付けようと色々な明るい話題を振り撒いてくれる。街で遭遇した愉快な人々の話、芸術への思い入れ、尊敬する画家の話。色々なことを、彼はいつも、こうしてロベルタの姿をスケッチしながら話してくれる。
 「またすぐ公園へ、一緒に絵を描きに行けるよ」。
 そう言っていた頃と同じように。
 貧しさゆえに薬も買えない。日に日に食欲がなくなり、頬は痩せこけ、肌の色艶が失せて、手に力が入らず使い慣れた絵筆さえも握れなくなった今でも、同じように。
 変わらず、彼は毎日、ロベルタの部屋を訪れる。
 柔らかな木色の丸椅子に腰掛けて、日に日に衰弱していくロベルタの横顔を、スケッチブックに描く。
 まるで祈るように。
 木炭のペンを削り、紙を浪費し、そうしてひたすらに描くことで、神の許しを乞おうとするように。
 取り憑かれたように描きながら、彼は言う。
「例え雪が降り出しても、肩に積もる前に帰るから心配要らないよ。それより、自分の身体は心配しないのかい? そろそろ横になって、温かくして休んだ方がいい、ロベルタ」
「……そろそろ横になれ、だって? 描いているんだから動くな、と言ったのは、さて、何処の誰だったかな……?」
「…………」
 デッサンに動かし続けていた手をぴたりと止めて、顔を上げる。
 ロベルタも窓から向き直り、顔を上げた彼を見つめ、物言いたげに笑って見せた。
「……言ったかな? そんなこと」
「……これだ。敵わんね」
 まったく素知らぬ顔でけろっと言うものだから、怒る気も失せる。
 肩を竦めて苦笑して、ロベルタはもう一度彼を見つめた。
 彼はスケッチブックを閉じて、ペンをケースにしまうところだった。
 木炭と絵の具とで汚れた彼の手指に視線を注ぎ、自身の枯れた指先を、力なく握り締める。
 彼は荷物を鞄の中に納めると、少しの間を置いてから、ロベルタに問い掛けた。
「……疲れていないかい? もう休む?」
「…………」
 彼が毎日顔を見せに来て、毎日絵を描いて行くのは好きだったけれど、そう問われるのだけは、嫌いだった。
 その問い掛けはつまり、「僕はもう帰るよ」と、言っているのと同じだからだ。
 彼にとっては、ロベルタの状態を案じて「もう帰った方がいいかい?」と問い掛けているだけに過ぎないのだが、ロベルタには、それが嫌で堪らなかった。
 一人になりたくないのだ。
 一人になって、寒々しい部屋の中、一人で目を閉じて眠りに就いて、そうして翌日、果たしてまた再び、彼とこうして会うことが出来るのか。そんな「毎日」に自信が持てなくなって来た最近は、彼を「帰したくない」とさえ、思うようになっていた。

 

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