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歴史・時代

東京探偵小町 第一話「新しい風」 <3>

   

「…………そんな大きな行李が」
「…………後から二つも来るってか」
それはつまり、数日や数週間という単位ではなく、かなりの長期滞在を予定している――ということではないか。

小説版『東京探偵小町
第一部 ―怪盗編―

Illustration:Dite

 

 帝都東京・麹町。
 俎板橋から靖国神社へと続く、市内でも屈指の急勾配として知られる九段坂は、今日も大勢の人で賑わっていた。坂より一段低いところには外濠線が走り、電車が忙しなく行き来している。
 そんな九段坂の坂下に、その洋館はあった。
 白い壁に青い屋根、総二階造りのモダンなたたずまいで、門柱に掲げられた看板には、「九段坂探偵事務所」とある。もとは町の小さな歯科医院だったが、医師夫妻の転地を機に売りに出されたのを、朱門が気に入って買い取ったものだった。
 以来、朱門が自宅兼事務所として使うようになり、「九段坂探偵事務所」は、麹町のちょっとした名所になっていた。朱門が世を去った今、訪れる人はめっきり少なくなったものの、彼の愛した二人の弟子たちが、主なき家を守っている。
「倫太郎、倫太郎!」
 愛用の万年筆をしばし止め、開け放たれた窓から運ばれてくる若葉の香りに目を細めていた倫太郎は、騒々しい足音と乱暴な扉の開閉音に、その秀麗な眉を曇らせた。

 こんな足音を立ててやってくるのは、一人しかいない。
 二年前に探偵事務所の門を叩いた、彼のおとうと弟子である。

「おい、倫太郎!」
「なんですか。そんな大声を出さなくたって、ちゃんと聞こえていますよ。今、執筆の真っ最中なんですから、もう少し静かにして下さい」
「んなノンキに構えてる場合じゃねえ! 一大事だ、一大事!」
 机に向かったまま、顔も向けようとしない相棒に、和豪が苛立ちを募らせる。こんなところだけ生粋の江戸っ子らしく、和豪の気の短さときたら天下一品だった。この上さらに怒鳴り散らされてはかなわないと、倫太郎はようやく和豪に向き直った。
「あのねえ。探偵の依頼はしばらく休みにしようって、このあいだ決めたじゃないですか。まさか和豪くん、また厄介な頼みごとを引き受けてきたんじゃないでしょうね」
「ああもう、そんなんじゃねェよ! いいから、これを見ろっての!」
 行儀など知らぬとばかりに、和豪がどっかりと机に腰を下ろす。目の前に突き出された便箋を受け取り、倫太郎は指先で軽く眼鏡を直して、そこに綴られた文面を追った。
「上海からの手紙……先生の奥さんからですね」
「いいか、倫太郎。読んでひっくり返るんじゃねェぞ。あのな、大将の娘がな」
「に、に、日本に来る!?」
 音を立てて椅子から立ち上がり、倫太郎は珍しく声を荒げた。
「和豪くん、なんだってこんな大事なことを、今まで黙っていたんですかッ!!」

 

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