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ハートフル

沖の瀬 (2)

   

おびただしい夜光虫が光りざわめいて、健太にまとい付く。
優しい海の感触が、厳しい労働の末の、筋肉の痛みを和らげてくれるような気がした。

 

 裏木戸を潜るとすぐ、真っ白な砂浜が拡がり、真っ青な日本海が強烈な夏の陽光を浴びて輝き、処々で陽炎が立つ砂浜を撫でてそよぐ熱い風が、磯の焼けた匂いを運んで来る。
 カモメの群れが遠くの波打ち際に遊び、孤独なトンビが健太の頭上で鳴きながら、ゆっくり弧を描いた。
 この町の砂浜は、ハマナスの最南端生息地として、知る人ぞ知る砂浜だった。
 砂浜を南へ一キロ程行った辺りに、中国山脈に水源を持ち、市の中心部を縦断して過ぎる川が流れ出し、河口を越えてさらに五〇〇メートル程砂浜が続く。
 そしてその東側の麓に小学校がある小高い岬の上の、潮風を受けてさやかに揺れる松林の木陰の中に、中学校の白い校舎が見え隠れしていた。

《来年からあすこに三年通て》
 北に向くと一〇〇メートル程で港があり、その先に漁業組合と市場のある町の中心が、今は人影もほとんどなく、熱い陽光を浴びて穏やかな佇まいを見せていた。
 夕方になって底曳き船が戻ると、漁師の家は戸締りもろくにしないで、主婦や年寄り達が子供を連れ、赤ん坊を背負って男達を迎えに出て、獲れた魚の水揚げや、翌日の出漁の準備をするのだ。
 健太は、海水が暖かく感じられる程寒い真冬でもほとんど欠かさず、毎日のようにじいちゃんの本家の船の手伝いに出た。
 じいちゃんの船は二人乗りの小さい船で水揚げも少なく、母とさかいのおばあさんだけで充分だったのだ。
 手伝いの報酬にもらって帰る魚を、家族が美味しいと言って食べてくれ、時々多くもらい過ぎて食べ切れない分を干物にして姉の家族や独り住まいの兄に送り、返信に認められた健太への例の言葉を母が見せてくれるのも誇らしかったし、また自分の労働が家の生計の一部を支えているという自負もあった。
 そして何より、魚の入った重い箱を一度に何枚も抱えて運んだり、重い製氷を船に積み上げたりする自分を見て、本家の人達が「健太も力が付いて、は、一人前だてや」などと褒めてくれるのが嬉しかった。

 武と洋二が、釣竿と道具箱を抱えて海岸通りから縦波止に向かうのが見えた。
 健太は二人を追って波止場に走った。
 縦波止の先端から岡を見返ると、遠くかすむ中国山脈の山並みを背景に、中央にはげ山を置いて、北は港と町並み、南は長い砂浜を一望出来る。
 釣り糸を垂らすと、えさ取りのフグ、カワハギ、ベラ、クロダイなどの当年子が、海底も見えなくなる程群がり集まって来る。
 その底にいるガシラやアイナメ、クロダイを狙うのだ。
 強烈な陽射しに焼かれるうえ、海中は涼しそうに澄み切っていて、まるで飛び込んで来いと誘っているようで、三人は明日からでないと泳げない学校の規則をうらめしく感じた。
 太陽が西の海上に傾き掛かる頃、漁業組合の拡声器から《ソーラン節》に乗せて、無線で確認した各々の底曳船のおおよその帰港時間を、町中に知らせる声が流れた。

 夕方から出漁するじいちゃん達の船が港を出て行くのが見え、大声でじいちゃんを呼んで手を振ると、ともに立ったじいちゃんが健太を認め、手を振り返した。
 三人は釣り具を納め、釣った数匹の磯魚を持って家に帰った。
 裏木戸では母が洗濯物を取り込んでいた。
 納屋に釣具を置いて炊事場に入ると、今日に始まった事ではない、もうもうと起こった煙と湯気が家中にこもり、海側の窓から差し込む夕陽に照らされて家の中が真っ赤に映え、まるで火事が起こったように見える。
 その煙と湯気の出処では、ばあちゃんが小さな身体をさらに小さくして、ふろの炊き口と、炊事場の釜戸の前とに、交互に忙しなくしゃがみ込み、煙にむせながら必死で火吹き竹を吹いていた。

「ばあちゃん、何ぞ食うもんないかな?」
「戸棚に麦粉が入っとるで」
《やった!麦粉だ》
 健太は麦粉がなめられるのと、久しぶりにばあちゃんの声を聴いたような気がして嬉しくなり、釣った魚を炊事場に放り出して手を洗い、勢い良く戸棚を開いた。
 冷水で溶いて食べる麦粉は美味しかった。
 挽いた麦粉に砂糖と塩を適量混ぜた物で、粉のままなめたり、水に溶いて食べたりするだけの粗末な物だったが、おやつなどほとんどない子供達にとって結構なごちそうだった。
 また、先日まで冷蔵庫代わりだった井戸の水も冷たく美味しかったが、冷蔵庫のお陰で、氷が何時でも口に出来るようになったのも嬉しかった。

「食べ過ぎなはんなよ。明日のも取って置かな、いけんで。何もないき」
 母に見つからないうちに二杯目を狙っていた健太は、母の制止でしぶしぶ湯飲みの底をなめるように食べ、袋に入った麦粉を指に塗して一なめしてから、名残惜しそうに戸棚に戻した。
 納屋に入って汚れたシャツとズボンに着替え、長靴を履く。
 汚れたと言っても魚の汁やイカのスミ、機械油などが付着して取れなくなっているだけで、母が毎日洗濯してくれていた。

 健太はこの格好をする時は何時も、大人になった気分になり、誇らしく思うのだった。
「本家のてごに行って来るが」
 健太は無意識に大人びた声で言い、手伝いの報酬にもらう魚を入れて持ち帰る、竹で編んだ手かごを持って、裏木戸を出た。

 海岸通りを歩いていると、ちんばさんがこれからイカ釣りに出るのだろう、酒の入った水筒とイカ釣りの仕掛けを積んで、ペダルを漕ぐ度にキーキーと鳴る古い自転車に乗ってやって来た。
「どがなかな?」
「おお、健太、いっつも元気だの」
「てごしよかな?」
「おお、頼むで」
 健太はぎこちなく挨拶し、周囲にちんばさんの出漁を手伝う人がいないのを知って、恐る恐る船を降ろす手伝いを申し出た。
 ちんばさんが厳しい顔をほころばせて、健太に微笑んだ。
 じいちゃんもだが、老人の漁師達の顔は皆、手足同様、永年潮風に晒され、陽光に焼けて赤黒く、しわだらけで、笑わない時は怖い程鋭かった。

 

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