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ノンジャンル

立ち枯れ 3

   

柏木は、偏屈な男だった。

他人とかかわるのが鬱陶しく、煩わしい。
自分以外の人間が、みんな酷く愚鈍で馬鹿に見えた。

柏木のエリート意識は、劣等感の裏返しだ。
常に自分より先を行く出来のいい兄が、柏木の精神を歪ませた。

なにをしても兄の二番煎じ、誰も自分に目を向けてくれない。
自分は誰からも期待されていない。
望まれていない。
その思いが、柏木に世界を憎ませた。

だがある日、夢の女、幸恵が現れる。
彼女は、柏木に、白く輝く月を見せてくれた。

安酒場の女、幸恵に興味を抱いた柏木は、彼女の留守に、店の女主を酔わせ、彼女の素性を探りだす。

 

 幸恵の口元を見つめる柏木の目は、視点が完全に固定され、瞬き一つしない。人が見たらたぶん奇妙に感じるだろう。事実カウンターの向こうにいるマダムは怪訝な表情で柏木と、その視線の先の幸恵を交互に見ていた。
 しかしそんなことはどうでもいいことだ。柏木にとって自分以外の人間は塵と同じ、塵に軽蔑されたところで痛くも痒くもない。大事なのは、目よりはるか下にある唇だ。
 この唇が動くのを見ていたい。この唇から吐き出される言葉を聞いてみたい。だが長く見つめ過ぎたのだろう、幸恵は食事を中断し、箸を止めた。そして自分をジッと見ている柏木へとチラリと視線を送る。
 なにを見てるの? そんな少し恐怖の入り混じった表情で曖昧に笑い、手にしていた箸をカウンターへ置いた。
 食事を中断するとき、キチンと箸を置くところも気に入った。行き届いた所作だ。
「ごめんなさい、私だけ……柏木さんも食べる?」
「いや、いいよ、食事は済ませた、幸恵ちゃん食べて」
「でもそんなに見られてると食べ難いわ」
「そう? でも見ていたいんだ、だめ?」
「人が食べてるところなんか見てても面白くないわよ」
「面白いよ、美人は何をしてても綺麗だしね」
「柏木さん上手ね」
「食べて……」
 再び食べろと促すと、幸恵はあんまり見ないでよと呟きながら、今度は長芋の唐揚に箸をつける。あまり意識されると動きが戯心地なくなる。意識しない、無意識の動きを見たい。
「いいよ、じゃ見ない」
 柏木はカウンターの上に置いてある氷の溶けかけたグラスを手に、正面を向いた。カウンターの向こう、マダムの背後にはグラスや酒のボトルが入っているキャビンがあり、硝子の扉がついている。暗い店内の照明が丁度いい具合にその硝子を鏡代わりに見たたてくれた。それに気づいていた柏木は、そこに映る幸恵を見ることにした。直に見るより少し暗いが、それもそれでセピア色の古い映画を観るようで悪くはない。
 ほっとしたような表情で幸恵が長芋を食べる。噛み砕かれる長芋は、茄子とは違い、サクサクと噛み砕かれる音がする。今度は白い歯が長芋を噛み砕く音を、目を閉じて聞いてみた。耳の中に響いてくる音は、音楽のようにリズム感があり、心地よい。
 神経を集中させていると、音はどんどん大きく聞こえてくる。店内には流行り歌のBGMも流れているが、そんなモノは耳に入らない。聞こえてくるのは幸恵が放つ噛み音だけだ。
 サクッと音が響くたび、自分の身体が噛み砕かれているような錯覚に囚われる。生きながら噛み砕かれる快感に、柏木は小さく身を震わせた。こんな気分になったのは久しぶりだ、二十年ぶりかもしれない。
 そう気付いたとき、柏木はふと薄目を開けた。
 

 

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