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ハートフル

沖の瀬(6)

   

「そ、そら、お前っ、キ、キスの一つや二つ… 、や三つや四つ…」
「キスて、一つ、二ついうて数えるだか?」
 洋二が今度は健太の味方になって、武を追及した。
 その時だった。

「こらっ! お前ら、職員室の傍で、何ちゅう話をしとるっ!」

 

 うろこ雲が早い秋を連れて来た。
 夏が終わり、港は再び底曳漁が始まった。
 二学期が始まって学校に戻った子供達は、毎年そうするように、秋を迎えて、普段通り帰港した船や畑仕事の手伝いに励み、魚釣りや砂浜や海岸での遊びはするものの、海からはげ山や野原、稲刈りの終わった後の田んぼに遊び場を移して行った。
 海での遊び程ではないものの、紅葉に彩られた美しい野山を走り回り、栗、椎、グミ、アケビの実を採って食べ、木の枝や竹、笹などで様々なおもちゃを作って遊ぶのは、勿論それはそれで子供達の楽しみであった。

 一〇月の半ば、運動会が開催された。
 勉強は苦手でも、運動の得意な子供達がヒーローになる日であった。
 健太も、一〇〇メートルや二〇〇メートル、リレーでは武や洋二には及ばなかったが、四〇〇メートルや八〇〇メートルでは誰にも負けなかった。
 九月の終わり頃から練習を重ねた運動会当日、朝食の真っ最中に港町に異変が起こった。

「沖イワシの大群が来ましたで! 漁師は船を出して下さい!」
 早朝、いきなり漁業組合の拡声器が大声で何度もまくし立てた。
 健太は誰よりも早く朝食の箸を置き、急いで裏木戸を潜り抜け出た。
「うわーっ! ごっついっ!」
 思わず声に出して叫んだ。
 沖イワシの大群が晴天で真っ青な海面に巨大な銀色の帯を作っていた。
 まるで銀色の大蛇が何匹も泳ぎうねっているように見えた。
 波打ち際のあちらこちらで、既に夥しい数の沖イワシが打ち上げられ、銀色に光ってはねている。
「じいちゃんっ! すごいでっ!」
 家族全員が後を追って飛び出して来た。
 じいちゃんは、すぐに船を出しに走った。
 父が手かごを二つ出して来て、健太に一つ手渡した。
 父と砂浜に飛び降りて波打ち際まで走る。
 母も手かごを下げてばあちゃんと一緒に家を走り出た。
 母やばあちゃんが走るのを生まれて初めて見たような気がして、無性に嬉しくなった。

 周囲の家々も家族総出だ。
 底曳船は大き過ぎて小回りが効かないので衝突したり、浅瀬に船底が乗り上げたりする危険があったので、底曳船に乗っている漁師達は、伝馬船を出したり、波止場に走ったりして大きな手網で沖イワシの群れをすくった。
 じいちゃん達の乗っている船は小型なので、健太達が沖イワシを拾っている波打ち際のすぐ傍まで船を回し、大きな手網で沖イワシをすくっては船の甲板に置いた魚箱に放り出した。
 三〇分程の大騒動だっただろうか。
 海が何時もの青さを取り戻したが、砂浜で跳ねている大群の処理が残っていた。

 近所の年寄りから幼い子供まで、時間が経つのも忘れて、沖イワシを拾い集めている。
 組合の拡声器がもう一度鳴った。
「運動会は一時間遅れて開催される事になりましたで、子供達も一時間遅れで良いだげな」
「は、限がないが。これぐらいで良かろがい」
 父が健太に声を掛けた。
 母と、一緒にいたばあちゃんも顔を挙げてうなずいた。
 近所の皆も引き揚げ始めた。
 拾い切れずに打ち上げられたままの大量の沖イワシを狙って、人間が引き揚げた後、カラス、カモメ、トンビの群れが波打ち際に殺到していた。
 さらに集まって来た犬や猫と争奪戦が始まっていた。

 三人で持ち帰った沖イワシだけで、大きな手かごに三ばいもあった。
「こがに一杯獲れて、どがするかな?」
 興奮から覚めた健太は、呆れた。
「普段でさえ沖イワシは安いし、第一このじげだ誰も買わへんだろてや」
 父も呆れ顔だった。
 これ以外にじいちゃんが船を出して獲ったイワシは、恐らくこの倍はあるだろう。
「干して、皆に送ってやるき」
 母だけは、ニコニコ顔だった。

「こがな事、わしが生まれて初めてだが」
 父が大きく伸びをしながらつぶやいた。
「運動会の朝に、魚も運動会だかいな」
 健太は冗談を言って一人笑ったが、すぐにはっとなった。
《まさか、これが全部のうなるまで、ずっとご飯のおかず、沖イワシだかいな?》
 健太の予感は、恐らく外れないだろう。
 夕食はともかく、朝食も弁当のおかずも、ずっと、沖イワシがなくなるまで。
《犬や猫がしょいこ担いで来て、いっと盗んで行ってくれへんかな》
 背筋が寒い思いをしていると、じいちゃんが戻って来た。
「大漁なんは良いが、売れへんで」
「なして、こがな事が起こっただろかいな?」
 父が手を洗いながら、じいちゃんに尋ねた。

「潮の流れが変わったかも知れんな。沖イワシはこがに沿岸には来んで。ワカナの大群が沖イワシの大群を追い回しただろがい」
 じいちゃんが、手ぬぐいで汗を拭きながら、ぽつりとつぶやいた。
《これも海水汚染のせいだろか? 環境が変わったせいだろか?》
 大騒動に興奮した後の醒めた心に、じいちゃんの言葉が重かった。
 この町の一大珍事は、翌朝の新聞の地方版のトップを飾った。
 その日から数日は、町中何処の家の軒先も庭先も、沖イワシの干物だらけになった。

 運動会の次は学芸会だった。
 最上級生は毎年、劇ではなく、合唱や楽器演奏をするのが慣わしであり、リーダーは勿論合唱部の部長の扶美であった。
 遠慮がちに皆を指導し、必死でまとめようとする扶美に、心の中で応援を送りながら、健太は恋心を一層募らせるのであった。
 学芸会が終わってしばらく経ち、山の紅葉も深まり、朝晩には冷え込むようになったある土曜日の事だった。
 

 

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