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立ち枯れ 6

   

警察官で、捜査一課長をしている柏木は、ひどく偏屈な男だった。

他人とかかわるのが鬱陶しく、煩わしい。
自分以外の人間は、全員馬鹿に見えた。
ある日、そんな柏木の前に、夢の女、幸恵が現れる。

幸恵は、安酒場のホステスだったが、それにしては品があり、柏木も気に入っていた。

ある日、幸恵が若い男と歩いているのを見つけた。

幸恵は自分が見つけた女だ。
彼女の隣には、それなりの人間が立たなければならない。
どこの馬の骨か知れない男に傍に立たれては困る。

理不尽な怒りを覚えた柏木は、その若い男、悟に敵意を持つ。

 

 柏木の頭の中は、幸恵の笑い顔と、赤い唇、そしてその口腔内だけでいっぱいになる。
 心はまるで使い捨てられる下僕のように幸恵に傅き、その歯で噛み砕いてくれと平伏しながら懇願した。あの唇に取り込まれたい。あの歯で噛み砕かれたい。冷たい風が吹き付ける中、柏木は、ただひたすら女神の出現を待った。
 やがてカチャッと軽い音を立てて扉が開く。じゃあまたねと店の中にいるマダムへ声をかけながら、幸恵は出て来た。丈の長い赤いチャイナドレスの隙間から、白くて細い足首が覗いて見える。真っ赤な口紅は遠目からもその美しさを際立たせ、濃すぎる白粉化粧と共に、強烈に柏木の目を引いた。

「大丈夫? 幸恵ちゃん、雨降ってない?」
「大丈夫よママ、降ってないわ」
 分厚い雲が今しも嵐になりそうな予感を覚えさせるが、幸恵はその暗い空を仰ぎ、大丈夫だと笑って店の戸を閉めた。そして、店の前に一つだけ点いている街灯の下へ立ち、ハンドバックから煙草を取り出して火を点ける。
 火の点いた煙草を咥えて一息吸い込んだ幸恵は、紫の煙を吐き出しながら、再び暗い空を見上げた。その仕草は慣れたもので、店を出てからの幸恵の儀式のようにさえ思える。
 初めて出合った日も、幸恵はああして煙草を吸い、空を見上げていた。そしてその日、柏木も見たいと願っていた月を見つけ、無邪気な顔で微笑んでいた。
 今夜は月も出ていない、最初の日に見た笑顔は見られないだろう。柏木がそう諦めたとき、暫く空を見上げていた幸恵がフッと笑った。
「あ、星」
 幸恵が洩らした言葉に驚き、柏木が同じ方向を見上げると、そこには分厚い雲の隙間から小さくみすぼらしい星が覗いていた。
 はすっぱな、娼婦かなにかのように、腕を組んで煙草を吹かす幸恵の顔が、街灯に美しく照らされる。態度は娼婦でも、幸恵の中身は少女のままだ。その証拠にこの曇天の中、星さえも彼女に微笑みかける。
 柏木には、その日決して見られないだろうと思っていた星を見せてくれた幸恵が、本当の女神に見えた。実際は星に意思があるわけはなく、初めからそこにあっただけかもしれない。幸恵がたまたまそれを見つけただけかもしれない。だがそれも幸恵であるからこそだと言える。彼女の素直な目だけが、この暗雲に覆われた世界から覗く、小さな星(希望)を見つけ出すのだ。

 電柱と壁との間に挟まれるような形で立ち尽くしていた柏木は、幸恵の希少性に酔った。足元がふらつく。地面はまるで水をたっぷり含んだスポンジのようで、ただ立っているだけの足がズブズブと沈んでいく。無意識に前に出ようと歩を進めた足元が崩れ、身体が傾いだ。突いていた杖がスポンジに飲み込まれ、身体はバランスを保てなくなり、ガクリと膝が折れる。
 酔っ払いオヤジのようにみっともなくよろめき倒れた柏木は、視線を上げることが出来ず、そのまま俯いた。地面の上に手を突いてしゃがみ込んだ柏木の頭上に、物音に気づいた幸恵の声が聞こえてくる。
「柏木さん? やだ、どうしたの、なんでそんな所に」
「あ、いや別に……」
 慌てて駆け寄って来た幸恵が手を差し伸べる。奴隷が主に平伏すように地面に手をついていた柏木は、差し出された幸恵の白い手をジッと見つめた。それは菩薩の手に似て、その手をとれば 温かい溶液の中、安らぎ護られていた世界へ、還れるような気がした。
「幸恵ちゃん!」
 
 

 

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