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スーパー授業参観

   

 とある私立高校で社会科を教えている木下 達夫は、クラスの騒がしさに悩んでいた。何しろ、ほとんど誰もまともに授業を聞いてくれないのだ。しかも生徒たちは木下の大人しい気性を見越して、注意さえ受け付けない。かと言って手を出して言うことを聞かせることもできないという状況で、完全に八方塞がりと言って良かった。エスカレーター式に大学に上がれるという学校の特性も、生徒の気を緩める方に作用してしまっていた。

「学級崩壊」や授業参観のようなイベントの形骸化は、学園全体に共通する問題であり、そうしたことを職員室で愚痴っていた木下たちは、校長から、状況の改善を要請される。もしうまくいけば今後の評価向上も見込める話だが、もちろん暴力や暴言は厳禁で公的機関にも頼れず、校則も使い辛いという現状があった。正直なところ、かなり難しい条件ではある。

 だが、木下は、ふと校内の風景を見やったところで、一つの策を思いつく……

 

「ええ、千六百三年、関ヶ原の戦いに勝利した徳川家康は、江戸に……」
 木下 達夫は、小柄な体をフルに使って声を張り上げていった。しかし、教室の中の誰も聞いている素振りはない。
 高校生たちは近くの席の仲間と談笑するか、居眠りをするか、あるいはスマホを取り出してゲームをするかといった感じで、時間を潰している。
 中には通路を歩き回り、気の合う友人と本の回し読みをしているグループまでいるという有様だ。
「し、静かにっ。ちゃんと集中して。ここ、次の試験に出るんだから」
 たまらずに木下は、試験内容をちらつかせての「殺し文句」を告げたが、誰も授業に戻ろうという気配を見せない。
 木下は、頭にかなり血が上ってきているのを感じていたが、同時に「仕方ないか」とも思う。
 何故なら、生徒たちが在籍しているのは私立高校三年のクラスであり、付属の大学にエスカレーター式で上がれるという状況下なのだ。
 外部の大学などの「上」を目指すほど偏差値は高くなく、普通の公立の滑り止めとして扱われることが多い上に実学方面も弱いこの学校をチョイスしている時点で、真面目に授業を受ける習慣ができていない者が多い。
 そうなると、木下のような弱気なところがある教師の授業など、真っ先に学級崩壊コースに到ってしまうのである。
「センセー、まだ終わんないの? だったら早退していい? あたし、カレシとデートなんだけど」
 よりによって一番前の席に座る中井が手を挙げて口走った。教室中からどっと笑いが巻き起こる。
「お前の彼氏は今隣のクラスで授業受けてるだろうが」と返したくなるが、そんな事言おうものなら、「ええー、何でセンセーが知ってるの。プライバシーの侵害だよ、セクハラだよーっ」
 などという挑発が飛んでくるだろう。隣のクラスの朝崎と付き合ってることは、他ならぬ中井自身の口から聞いている。
 授業中の私語という形で。
 しかし、校則に「不純異性交遊」の規定がない以上、事件性のない付き合いに学校が口を出すわけにはいかないのだ。
 もちろん、種々のリスクを踏まえて介入するのは自由だし、熱血な教師であればそうやって状況の改善を目指していただろう。
 しかし、教師になってから十数年以上、統率力と人望のない自分というものを突きつけられてきた今の木下には、口を挟むだけの気力はない。
 家族も恋人もなく、放課後や休日はひたすらパソコンや機械をいじり、預金通帳にたまっていく蓄えの数値だけが楽しみという彼には、同年代の平社員や係長と比べてずば抜けて収入が良いこの職場を去るというリスクを踏み辛かったのだ。
 何か成果が期待できるならともかく、リスクがある上に徒労に終わるとしたら、まったく動く気がなくなるのもむしろ当然だった。
「アハハ、ストーカーっスか、センセー。止めといた方がいいっスよ。こいつのオヤジ、柔道で実業団まで行ったってぐらい強いんスから。俺だってぶん投げられたことがあるもの」
「そりゃああんたがナンパ連続二百人にチャレンジしようとして、数稼ごうってクラスメイトまで的にかけようとするから。ナンパじゃなくって、その安易な根性が気に食わなかったのよ」
「しょうがねえだろ。バスケ部全員にハンバーガー奢るかどうかって瀬戸際だったんだ。じゃなきゃお前なんて」
「あーっ、ひっどい言い方! 父さんに言って腕絡み極めて貰うからね、もう決定なんだから」
 口を挟んできた野口と中井の間で口喧嘩が始まった。
 この学校、付属の中学からの繰り上がりがほとんどを占めるとあって、生徒間の仲が良い。
 いじめなどの深刻な問題がほとんど発生しないというのは実にありがたいが、仲が良い分教室内での私語も増える。
 その割を食うのが、木下のように弱気で、生徒に甘く見られている教師たちということになる。
 もちろん、授業中にカマされてしまったストレスは、相当なものがある。
「そ、そういう話は、他でやってくれないか。他の生徒の迷惑に……」
「そう? もう慣れっこっしょ。あたしら、いっつもこんな感じだし」
「そうそう。むしろセンセーが切ないって感じてるんじゃねえの? ずっとカノジョいなくってさ」
「あのな、いい加減にっ!」
 さすがに木下が我慢の限界に達しかけたところで、タイミング良くチャイムが鳴ってくれた。
「教師をからかっていないで試験勉強もしなさい」と、木下は言い捨てて教室を出て行くことにした。
 呼び止めて延々と説教するということはない。
 中井たちが今やってみせたようなやり取りなどはごく当たり前過ぎて、公衆の面前で説教するレベルではない、というのが校内での一般認識だったからだ。

 

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