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ラブストーリー

In the rain 2

   

啓介がレッスンを申し込んだ理由、それは雨の日に聴こえてくるピアノの音色。その主が、前に見かけた出窓の彼女だと確信したからだった。
生徒になれば、あの音色を雨を待たずに聴けると思った。
ただ、その裏で花音に惹かれている自分は、隠さなければと思っていた。

一方花音は、あくまで自分に生徒として接してくれている啓介に対して、本当の気持ちの行き場を無くしてしまう。
講師としての自分と、普通の女としての自分の狭間で揺れ始める。

 

 仕事から帰って来ると、一枚のチラシが他の郵便物に混じって入っていた。いつもなら、そんなものは直ぐに捨ててしまうのに、何故かその綺麗な水色のチラシを最初から最後まで眺めていた。
 『小さなお子様から大人まで』、その言葉を見て、昔に習ったピアノ教室を、啓介は思い出していた。
 最初は親の強制だったのだが、次第に自分自身ピアノを好きになっていた。どんどん難しい曲になり、聴いた事のある曲も出てくるようになって、益々楽しくなっていたのだが、やはり中学校にも上がると、部活の方が忙しくなり、ピアノどころではなくなってしまった。
 啓介はバスケをやっていて、時には突き指もしてしまう。そうなると、鍵盤を弾けなくなってしまう事もあった。
 元々スポーツ好きだった啓介。身体を動かすのは大好きだった。
 どっちを取るかと言われれば、あの時はバスケを取った。レギュラーだった事もあるからだ。

 郵便物を一通り眺めて、啓介はシャワーを浴び出てくると、まだテーブルに置いていたチラシを再び手に取った。
 嫌いでやめた訳じゃないという事が、心に少し引っ掛かっている。そして、仕事が休みの雨の日、何処からなのか分からなかったが、聴こえてくるピアノの音に、いつも寝室に引き止められていた。
 寝室の窓を開け、車さえ通っていなければ、雨の音に混じって聴こえてくる音色。その音色に、日頃の疲れを癒してもらっているなと感じていたのは確かだ。

 もう、何度休みの日に聴いたか分からない音色を、探した事があった。ピアノをやっていた所為か、耳はいい。雨に混じるその音色を、窓を開け、煙草を吸いながら啓介は探した。
 しばらくして音が消えた。どうやら向かいのマンションからだと分かり、何気に窓を見上げる。その時、出窓に見えた一人の女。どこか遠くを眺め、ふと視線を下に下ろした。慌てて部屋の中に視線を戻した啓介は、ただ煙草を吸う。
 すると、女は窓からいなくなり、再びあの音色が雨音に混じって響き出した。
 彼女がそうなのだと、何故かそう思った。
 その日から、雨の日の仕事休みには、午前中を寝室で過ごすようになった啓介。あのピアノの音色が聴こえなくなるまで、寝室の窓辺で煙草を吸う。
 いつの間にか、彼女を気にしている自分がいて、雨の日の仕事休みが楽しみになっていた。

 そのチラシを眺めて、その住所と部屋番号を見てまさかと思った。彼女の部屋は5階だ。502号室と書かれた文字に、何かを期待していた。
 もし、自分が生徒として習いに行ったなら、雨の日じゃなくとも彼女に会える。そして、あの音色を直に聴く事も出来る。
 ただ、部屋にはピアノがない。これではどうしようもないのだが、ピアノの事より先に動いてしまったのだった。

 花音のマンションから戻った啓介は、出窓に佇んでいた雰囲気とは少し違ったなと、顔を緩ませる。あの窓から見えていた花音は、いつも何かつまらなそうに、悪く言えば無愛想だった。
 それが、話をしている間に時折見せた笑顔、啓介は、完全に惚れてしまっているなと煙草を銜える。本をどれにするか、曲をどうするか、話している時の花音は凄く楽しそうだった。その笑顔に惹かれた。
 あまりに不純な動機だが、知られないようにしないと、あの優しい音色が聴けなくなってしまう、啓介はそう思った。
 雨が降るのを待つのは終わりにしたいなと、灰皿に煙草を潰した。

 

-ラブストーリー


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