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SF・ファンタジー・ホラー

幻儚奇譚<2> 緑の葉

   

 高名な先人へのオマージュです。
 彼を知らなければ、小説を書くこともなかったでしょう。
 幻儚の世界に迷うこともなく、平凡で平和な生活が出来た筈なのに……。

 

 医師の宮地順一は、ベッドに横たわる高槻千晶の話を聞いていた。
「小学校の水泳教室で、溺れそうになったんです……」
 闘病生活でやつれているとはいえ、若い高槻千晶は、十分に奇麗だ。
「それ以来、水が怖くなって……。窒息して死ぬのはいや」
 宮地順一は、少し笑顔を作りながら、うなずいた。
 少しの笑顔。
 この表情しか作りようがないのである。
 話を聞く。
 これだけが医師として出来ることなのであった。
 高槻千晶は、不治の病に冒されていた。
 若い命は、もう、消えようとしていた。
 本人には知らされていなかったが、本人も気づいている。
「死ぬときは、あの葉が落ちるように、そっと、死にたいわ」
 宮地順一は、後を向いて、月に照らされた窓の外を見、また、向き直った。
「あの葉は、みずみずしい緑色だ。まだ、落ちないよ」
「そうね、まだ、生きている……」
 高槻千晶が入院してから、もう2年が経つ。
 不治であることは分かったのは、半年前である。
 その頃から、高槻千晶は饒舌になった。
 小学校のこと、音楽のこと、初恋のこと、などなど、次々と宮地順一に話すのである。
 そして、どの話題でも、最後は〈生と死〉へ収束していった。
 最近は、窓の外にある木に取り残された、一枚の葉の話をするようになった。
 病室の窓の外は、中庭。
 向こう側の建物が見えるだけで、殺風景な景色である。
 ただ一つ、細い木があった。
 そして、なぜか、葉が一枚だけ、季節が過ぎても、落ちないで残っているのである。
 窓から見える灰色の景色の中で、葉だけが緑色なのだ。
 宮地順一は、高槻千晶の心が、痛いほど分かった。

 

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