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決めました

   

 自分の進むべき道を選択した大和。
 しかし彼の心はまだ揺れていた。
 引き返したい。
 しかしそうはいかない。
 そんなことを思っていたら、料理長である広明から電話が入った。

 

 
 寒空の下。
 澄んだ空気。
 藍色の空と、瞬く星たち。
 きれいなはずのすべてが、なんとなく物悲しい。
 冷たくて、凛としていて。
 幾度どなく経験してきたそれに、マスターの心臓がきゅんと縮む。
「マスター。」
 大和と同じ目をした青年を、何人もここから巣立たせてきた。

 ──時は移ろうもの。

 わかっている。
 永遠なんてない。

 ──彼らは若い。未来がある。

 才能があるから。
 ここにずっといる人間も、そうでもない人間も。
 せめてここだけは心地のいい空間でありたいと、いつも心がけている。
 音楽で食っていくのは、正直な話全く話にならないこともある。
 音楽だけで食べていけている人間が、この世の中にどれほどいるのだろうか。
「俺、ずっとここにいたかった。」
 大和の背中は少し震えて見える。
 その背中を、何も言わずにマスターは大和の次の言葉を待っている。
 わかっている答えを、それでも待たなければならない。
 心臓が痛い。
 それは両者共にそうなのだ。
「マスター、」
 涙こぼれないように。
 笑って次のステップへ進む報告がしたかった。
 だから上を向いて、涙をひっこめたつもりだったのに。

「俺、今年いっぱいでここを卒業しておやじの楽団に入ります!」

 笑いながら振り向いた大和の瞳からは、ぼろぼろと大粒の涙がこぼれ落ちていた。
「そうですか…。」
 大和の決断を揺るがすつもりはない。
 しかし悲しくないわけはなかった。
 マスター自身も、自分が今大和を困らせてしまっているような顔をしているとわかっている。
 不器用だから、スタッフがあまりに好きだから。
 マスターもうまく笑えない。
「決めました!」
「わかってますよ。君のトランペットはね、もっとたくさんの方に聞いてもらうべきだとは思っていました。」
「止めてよ、マスター…。行くなって言ってよ。」
 泣きながら笑って。
 本音であり嘘であるそれに、マスターの目にも涙が溜まる。
「ねぇ…。ここにいてって言ってよ…。そうしたら俺、ここにいるかもしれないのに…。」
 泣かないで。
 その言葉すら、マスターの口から出てこない。
「…それはね、言えないんですよ。君の決めたことを、僕のわがままで決断を鈍らせるようなことはできないんです。」
 真実ばかりを述べている自分は、きっと嫌な大人である。

 でも真実しか言えないのだ。
 それは、マスターも大和も同じ大人だから。

「君ならきっとやっていけます。クリスマスライブを楽しみにしてるから…。」
 クリスマスライブまで、もうそう日はない。
 大人になってからの一日の長さは、忙しくしていればあっという間に一日が終わっているほどに短いものだから。
 だから、別れのその日まで、ゆっくりと過ぎていってほしい毎日も、きっと駆け抜けるように早く過ぎて行ってしまうだろう。
 わかっているのだ。
 だからこそ、悲しいのだ。
「泣かないでください。神君。」
 悲しみに負けてうつむいたまま握り拳をぎゅっと握りしめて、大和の瞳からはぼろぼろと涙があふれている。
「辞めたく…ないんすよ…。すっと、ずっと、ここにいたいのに…。」
 これは大和の本心だ。
 しかし父親の率いる楽団に入団を決めたのも、また大和なのだ。
 身体が二つあれば。
 もしも父親の率いている楽団が、海外ではなく最寄りの楽団だったら。
 ここをやめることはなかったのに。
 欲張ってしまう。
 捨てられない。
 選ぶなんて、本来はできない選択だった。
「帰ってきたらいつでも遊びに来てください。待ってますから。」
 泣きじゃくる大和を、マスターはその細身の体で抱き寄せて、背中をトントンと叩く。
 父性に満ちたそれに、大和は小さな声を漏らしながら泣き始めた。
「行ってらっしゃい。神君。君の見る世界はどんなものなのか、土産話を期待しています。」
 優しいマスターの声。
 それもまた、鼻にかかった悲しみの涙におぼれていた。
「…はい。」
 情けないとおもいつつも泣き止むことができず、大和はそのまましばらくマスターの腕の中で泣いたのだった。
 
 

 

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