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普通が一番

   

 レストランを卒業する。
 大和からの突然の告白に、スタッフは凍り付いた。
 前日に電話で泣き明かしてきたマスター。
 それに感づく和彩。
 大和が忘れていたのは、「いつも通り、普通が一番」なわけで。
 久しぶりに笑った彼にスタッフたちは、いつもの大和が一番なんだと伝えるのだった。

 

 
 固まってしまったホール内の空気。
 その中に、案の定目が若干腫れているマスターが入ってきた。
 一瞬何事かと思ったが、大和が今年いっぱいでこの店を巣立つことを仲間に告げたのだろうと容易に想像がついた。

 ──おや?それにしてはおかしくありませんかね…?

 そうなのだ。
 大和が急に退職を告白したということは、今目の前で大和まで驚いてしまって固まっているのはおかしな状況である。
 普通ならば大和が退職を告げた場合、ほかのスタッフが驚いてしまって固まっているのが自然なそれである。
 しかし今目の前で起こっているのは、和彩以外の全員が驚いて固まってしまっている状況なのだ。
 それはどう見ても違和感でしかないだろう。
 マスターの登場にも和彩しか気が付いていないわけで、キョトンとしているマスターに和彩はちらりと視線を送った。
「どうしてこうなってるんだって顔ですね。」
 その通り過ぎて、マスターもうなずく他ない。
「大和君の件は、今本人から聞きました。辞めるなんて表現じゃなくて、行ってくるっていえばいいじゃないって言ったら全員ストップモーションになって今のこの状態です。」
 簡潔に今の状況を説明して、また小さく息をついた。
「マスターも昨日あたりに大和君のアレを聞いたんですね。」
「どうしてわかるんですか?」
「目、腫れてますよ。僅かですが。」
 和彩のそれに、マスターは苦笑した。
「敵いませんね。」
「それはどうも。で?あなたの息子さんも素晴らしい顔面で出勤してるはずですが?」
「貴方の彼も神君と同じような感じの目で厨房にいますよ。」
 和彩の予想は大体当たる。

 ──涙もろいんだから。

 そうなっているだろうと想像がついていただけに、内心少しだけ笑ってしまった。
 
 

 マスターの出現で、空気が少し変わった。
 ストップモーションに終焉が訪れ、緩やかにだが時間が流れ始めた。
「本当に今月いっぱいなんですか?」
 今にも泣きそうな諒に、大和は苦笑して頭をポンと撫でた。
「急に決まっちゃったんだ。俺もまだ頭がついていけてないところもあんだよ。」
 事実ではあるが、大和自身その現状が若干情けないような気がしてならない。
「荷造りとかの手伝いは?休日にでも手伝いに行こうか?」
 心治からのそれにも、大和は苦笑して横に首を振る。
「寂しくなっちゃうんで…。」
 それはそうである。
「おやじが手伝ってくれるらしいんで大丈夫です。日本にいる間は毎日日曜日みたいな生活だし、暇を持て余してるって感じだし。動かなきゃ酒に手が出るから、部屋のことはおやじに全部任せてんです。」
 荷造りの手伝いなんてされたら、寂しすぎて涙腺が爆発してしまいかねない。
 父親が帰国している際は究極に暇人で本当に良かったと、心底大和は思うのだった。
「おじさんは元気?おじいさまも。」
 和彩と大和の父親と祖父は、ちょっとした知り合いである。
 彼女からの問いかけで、大和の心が若干軽くなった。
「朝から酒飲んで二日酔いにならん程度に健康でいる。」
 苦笑しながらの大和の返答に、和彩の口元がゆるんで。
「ふふふ。それは健康だこと。」
 顔を見てわかるくらいに、控えめではあるが確実に彼女は笑っていた。

 ──ひさーしぶりに笑ったな、こいつ。

 相変わらず無表情の心治が和彩を眺めつつぼんやりと思っていれば、自分の隣で目を丸くして口をぽかんと開けている諒がいた。
「そうか、お前は初めてだったか。」
 めったに笑わない和彩。
 広明に対しても、公衆の面前ではほとんど笑わない毒舌な彼女なのだ。
 笑った顔を見るのは、かなり付き合いの長い人間でも一年間に片手で数えられる程度の回数しか目にしないのだ。
 ここで働き始めてまだ長くない諒は、どうやら和彩の笑顔を見たのは初めてだったようだ。
「あの、心治さん…。」
 和彩を見つめつつ、蚊が鳴くような声で諒が声を上げた。
「どうした。」
「和彩さんって…、」
「ああ。」

「笑ってると、すごい美人ですね…。」

 そうなのだ。
 諒の言ったことの、間違いはない。

 和彩は、笑っているととてもかわいらしい。

「だまされるな…。あれに落ちて泣かされた男が、大学時代にごまんといた…。広明さんはメンタルがとんでもなく分厚い鉄板だから、和彩の毒なんかへでもないみたいで…。」
 諒への耳打ちを、いつの間にかにらんでいる和彩。
「落とす気なんてみじんもないの。勝手に!相手が!落ちてんのよ!!」
 彼女のそれに、吹くはずのないいわゆる“圧力が発生させる圧風”に息もできないくらいに、心治も諒もふかれていた。
「はははは!!!」
 今日初めて、大和は腹から笑った。
「そうですよ!こうやって笑っていてこその神君です!」
 マスターのそれに、大和は少しキョトンとした。
「ここ最近笑ってなかったもんね。表面上ではにこにこっていうかにやにやしてたけど、いつもみたいにゲラゲラ笑うって感じではなかった。お客さんはごまかせても、私たちまでごまかせてるなんて思ってたの?」
 和彩なりの心配の声掛けとはわかっている。
 わかっているが、言葉のとげは否めない。

 ──不器用なやつ。

 和彩のそれさえも、大和には優しく思えてしまってどうしようもない。
「ありがと、ございます!」
 やはり敵わない。
 この人たちのは、隠し事はできない。

 再度そう思うと、なんだか心がふっと軽くなった。
 

 吹っ切れた、といえばいいのだろうか。
 

 大和の心の中は、妙にすっきりとしていたのだった。
 
 

 

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