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ショート・ショート

フード・ナッシング

   

某国の科学者が偶然から恐ろしい成分を化合させた。

それは、無味無臭だが飲食物が持つ栄養価を奪い去ってしまうというもので、さっとふりかけただけでも数割、大量に散布したり加工してコーティングしたりした場合はほとんどすべての栄養素が消滅してしまうというものだった。

一方で食物としての形は保ったままなので、食べた側は満腹感があるし、一度体内に入れてしまうと、消化するか吐き出すかしなければ新たに必要な栄養を採ることができなくなる。

「フードナッシング」と名付けられたこの物質は、まさに新世代の化学兵器とでも言うべき代物だったが、元々これほど危険な代物を誕生させる気などなかった科学者たちが、この物質ををどう扱うかについて激論を交わしていたところ、サンプルが入ったスーツケースの載せた車を盗まれてしまう。

このままでは処刑されてしまうと途方にくれる科学者たち。彼らの国のシビアな対応からして、それは当然の懸念だった。
しかし盗難騒ぎから一月後、彼らの前に現れた外務長官と友邦国の大統領は、意外なことを話し始めた……

 

「私は反対です、所長。ただでさえ化学兵器全般を廃止しようという動きがある中、このような物質を増産して防衛戦略の鍵とするわけにはいきません」
 アリステッド・ソラスは、普段、科学開発研での仕事で見せる冷静さをすべて捨て去り、所長に詰め寄っていた。
 防音処理が施された車内が、彼の圧力でぎしりと軋んだ。
「いいや、やるべきです。もう報告はしてしまったのです。いい出来事とは言いかねるでしょうが、だからこそ好転させるべきだ。我々の存在感を今一度政府にアピールするためにも」
 一方のジュンイチ・ベルナールは、その大柄な肉体を震わせるようにして意義をアピールした。
 普段よりもさらに増した迫力は、何かと対立することが多いソラスへの感情も含まれているかも知れないが、本心でもあろう。
 菌糸に投与する薬剤を間違った結果とは言え、「それ」を作り出したのは紛れもなくベルナールなのである。
「今すぐには結論は出せん。さっきも言ったように、食事しながら方針を詰めていこう」
 個性が強い研究員をまとめ上げてきたレオナルド課長も、今度ばかりは苦り切った表情を隠す余裕もないようだった。
 脂汗が光る肌は蒼白と言っても良く、ここ数週間で五歳は老けてしまったような感じがする。
 もっともそうした心労は、事情を知る科学開発部員には共通のことだった。

 全体主義的な傾向が強い某国には、科学の進展の一翼を担う「科学開発部」というセクションがあった。
 元々は敵国の生物・化学兵器への防備のために作られたらしいが、そうした兵器が世界的に全廃されつつある今では、家庭向けの商品開発などを細々と行う、気楽な部署と化していた。
 また、化学兵器の歴史や恐ろしさを書物にまとめる仕事もあり、ソラスたちの課はそうした業務をメインとしていた。
 その日も、政府のお偉いさんが設定した締め切りに無理やり間に合わせた反動から、皆相当気が抜けていた。
 疲れてもいたし、眠気を払拭することもできなかった。
 これらの複合的な要因がある課員たちだったが、実態はともあれ本業はあくまで科学開発であり、出向した部員の穴を埋めたりしなければならなかった。
 疲れ切っていたところに不慣れな仕事が回ってきた結果、部員の中でもひときわ不器用なベルナールは、サプリメントの原料として使用する菌糸に、使うべき栄養素とはまったく異なる薬剤を与えてしまった。紛れもない失敗である。
 しかも、ただの失敗では済まなかった。
 研究所の裏の森で採ってきた珍しいその菌糸は、自然界には存在しない「栄養」を与えられたことで、杉やヒノキが花粉を噴出するような勢いで、白い粉を生成し始めた。
 ベルナールが吸い込んでしまったことや、大量過ぎて見て見ぬフリもできないことから恐る恐る成分の解析を進めた結果、意外な事実が判明した。
 この胞子じみた物体はまったくの無味無臭、いくら摂取しても直接的に動植物に影響を及ぼすことはない。
 しかし、飲食物と結合した瞬間にさらに性質が変わり、食べ物に含まれた栄養素を消してしまうのである。
 食べ物や飲み物の外見を一切損ねずに栄養だけをなくしてしまうのだから、破壊よりもまさに「消去」と呼ぶにふさわしい。
 その効果は恐るべきものがあった。生成された粉状の物質をさっとふりかけるだけで数割、大量に散布したり溶かして食べ物を包むようにコーティングしておいてやれば、ほぼ完全に栄養価は消え去ってしまう。
 繁殖力の極めて強いキノコを原料にしているため、実質上はほぼ無限に生成できるし、あらゆる形質への加工も簡単だった。加えて味を変えることすらもないから、舌で区別をつけることもできない。
 その威力を目の当たりにした部員たちは、いつしかこの物質を「フード・ナッシング」と呼び、恐れるようになった。
 だが、恐れたからと言って物質が消滅するわけではない。
 また、存在そのものを隠すには量が多過ぎたし、大っぴらにするには禍々し過ぎた。
 敵をそれとは知らずに容易く栄養失調に陥らせるだけでなく、その食物を採った結果だと認識させることで農業者と消費者の相互不和までも誘発できるあたりは、太古から用いられてきた毒を使った攻撃よりもむしろ悪質とさえ言える。しかも食べれば当然満腹になるので、消化されるのを待つか吐き出しでもしない限り経口的な栄養補給は難しくなる。また、無理して吐き出した際の体への負担も当然無視できないものになってくる。まさに隙なく人や動植物にダメージを与える構造があるのだ。
 この強過ぎる「兵器」をどう扱うべきか、本来平和な商品開発だけをゆっくりやりたかった部員たちは、簡単に結論を出せなかった。
 国防主義からの増産を主張する者もいれば、人道や外交への配慮といった観点からの廃棄を要求する者もいる。
 両者の意見は平行線で、簡単に決着がつくようなことでもなかった。
 意見をまとめる立場のレオナルド課長はとりあえず、直属の上司にだけ報告し、答えを先送りし続けていた。

 

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