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ミステリー・サスペンス・ハードボイルド

卵と探偵

   

「……じゃあそれが原因なんじゃねえの? つか、あの辻野ヨシキってノジリさんなわけじゃん? ヨシキ騒動ってなに?」
 かなり躊躇ったのち、こくこく頷いた美沙は「……僕、センセーの弟子なんだよ。名前継いでるの。ファンのみんなには内緒にしてるんだけど、出版業界じゃみんな知ってる」とぽつんとこぼした。
(美沙は弟子。ヨシキ騒動はガチってことね。でもなんのために?)
 脳内メモに新たな情報が加わる。これ以上覚えておけそうになかったので、片手でメモ帳とペンを取り出した。未だに美沙が手を握っているので口でキャップを外す。
「探偵さんみたいだね」
「馬鹿だから覚えてらんねぇの。で、なんでヨシキからみきになったの? 別の名前で出版すればいいじゃん。てか、手ぇ離して」
 ごめんごめんと離した手を、美沙は尖った顎に持っていった。完全脱毛しているのかメイク術なのかヒゲの剃り跡の青さもない。完全な女だった。いや男の娘? 女装か?
「ううん、それがねえ、よく分からないんだ。名前継がせたいってことじゃないと思う。そしたら、ヨシキからみきに変更なんて許してくれないでしょ」
「それは、センセーがオッケーしたの?」
 ペンの尻で頬を突きながら、珠里が尋ねると勢いよくこくこく頷いた。
「僕がヨシキの名前を使うようになって少しして、ヨシキ騒動が持ち上がったの。だからみきでいいですかって訊いたんだ。混乱させたくないし。そしたらいいって。そのかわり、正式な表記は美しい樹のままにしておいてくれって」
「通称ってやつなんだ。あんたの名前」
「美沙でいいよ。──うん。ほら、ここ見て。美樹になってるでしょ」
 美沙が取り出したスマホで出版社の最新作の表記を見るとたしかに【辻野美樹】になっている。珠里はその情報をメモした。
「ね?」
「ふうん。じゃあ、遺作ってセンセーが言ったのは本当なんだ」
「卵──『The Egg』のことね──あれがノジリセンセーが最後に書いたやつだよ。あとはみき名義で僕が書いてる」
 コーヒーを飲みながら、ふと思い出したことがあった。
「あたしの後ろに並んでたファンの子が言ってたんだけど、奥さん──真季子さんだっけ? その人は亡くなってるんだね?」
「うん。でも、もう六年も経ってるよ。大切な人が亡くなって書けなくなることはあっても、六年は長いかな。生活あるし。辻野美樹は今は僕だからね。印税入ってないはず。ヨシキ時代の作品はあるけど、正直センセーの本は難しくてあんまり売れてないから」
 桜色の爪の先を合わせる美沙がいい女に見えた。
(ん? こいつ彼氏いるってファンが言ってなかったか? でも恋愛対象女って……)
 余計なことまで思い出して彼氏に捨てられた珠里はくさくさしたが、メモを取ることでやかましい考えを追い払った。
 【六年前に奥さん死亡】【印税入ってない】【でも金持ってる】と書きつけると、ふうむと腕を組んだ。美沙も頬杖をついている。
「センセーってどんな人?」
 他の情報はないかとあえて話を振ると、美沙は唇を突き出した。一気に子どもっぽくなる。
「怖い人だよ。すっごく。よく叱られた。上手く表現出来ないと、日本語読めないのかって言われたし。笑っちゃうでしょ。すんごい癇癪《かんしゃく》持ちなの。ちょっとのことでも気にいらなければ怒鳴ってた。でも、性格悪くても売れる物書ければ勝ちだから編集さんも強く言わなかったよ。というか、編集さん殴ってたこともあった。言われたとおりに出来ないのか! って。今、僕についてくれてる編集さんはノジリさん時代から一緒なんだけど血を吐いたって言ってたよ」
(あたしが知ってるセンセーと違うな……過激だわ)
 メモを取りながら、ガシガシと頭をかいた。
「そのセンセーが恋愛散文詩ねえ……」

 

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