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ミステリー・サスペンス・ハードボイルド

卵と探偵

   

 センセーは珠里に口を挟ませることなく、八万円が入ったあの青い銀行封筒をポケットから出し、琥珀色を一気に飲み干すと、フェリチータを出て行った。
 取り残されたのは目が点になっているアンナさんと、仏頂面の珠里。そしてカウンターの上の封筒だけ。
「嫌な奴!」
 珠里が喚いて封筒を叩いた。
 だが結局のところ、珠里に断る理由はなかった。
 フェリチータから帰ってきた珠里はさっさとシャワーを浴びると、ベッドの上でメモ帳を広げながら腕を組んだ。
(なに考えてるんだろう、あのおっさん)
 おっさんなのは間違いないだろうが、いったいいくつなのか。
 ノジリという名前は分かったが、漢字の表記は? そして下の名前は? 分からないことだらけだった。
(次の報酬は百万か……なんでそんな金あるんだろう。美沙に訊いてみるか)
 交換したメルアドにまた推理するよう言われた旨を記し、『許されてないってどういうことだと思う?』と送ってみると深夜だというのに数分も経たないうちにメールが返ってきた。仕事の仕方が夜型なのかもしれない。
『噂なんだけど、真季子さんにそれ言われたって話らしいよ。でもなにを許さないのかは分からない。ごめんね(>_<)』  ありがとうとメールを送り返し、さてと昨日と今日書いたメモをまとめ、そのうちの数点を消し、新たに付け加えた。  ・センセーは作家。  ・夜に来る理由は昼間寝ているから? それともほかの理由?   ・もとは辻野美樹で活動。現在が弟子の美沙が辻野みきで活動中。美沙曰く、今は書いていないらしい。  ・だが、生活に困らないほどの収入あり。では、なぜあんなぼろぼろの服を着ているのか?  ・名前を変えても譲る気はない。  ・許さないという言葉を亡くなった奥さんに言われる。だから書けなくなったのか?  ・奥さんは六年前に死亡。  ・奥さんの真季子さんは美沙には優しかったが、センセーと取っ組み合いの喧嘩をすることもあった。  ・センセーの気性はとても荒い。今は大人しい。今にも死にそう。 (卵は遺作って言ってたよな……じゃあ、その時期に奥さんが亡くなったとか?)  調べてみるとドンピシャだった。  六年前の冬に悪化させた肺炎で妻の真季子を亡くしている。享年四十三歳。通夜は夫の野尻久志《のじりひさし》──センセーの名前だ。 (遺作って言ってたくらいだから、書くのを辞める理由が奥さんに言われたことだったのかな? 堪えたとか? 肺炎の悪化ってそれほどまでに気づかないもんじゃないでしょ。だから恨まれた? でも、美沙の話を聞くとそれで書くのを辞めるような気性には思えないけど……)  うーんとメモを放り出して大の字になった。メイクをしてない野暮ったい顔をごしごしとこする。蛍光灯の明かりが全身に降り注ぎ、まぶたを閉じても痛いくらい明るい。 (センセーはどうして百万円くれるなんて言うんだろう。道楽だって言ってたけど、度が過ぎるでしょ。アンナさんに訊いても今までそんなことなかったって言うし) 「てかなんであたしこんなことやってるんだろ」  センセーには探偵の真似事をさせられ、弟子の美沙には探偵の顔だと言われた。経費と言われて計十三万寄越され、好きに使っていいとまで言われたが、好きこのんでやることでもない。  だいたい、なんだってこんなことに首を突っ込む羽目になったんだろうか。  十三万を持って逃げてしまえばいい。  だが、珠里自身にはとんずらする気なぞまったく起きないのだった。 (なーんでだろうなあ)  高校中退がろくな仕事に就けないとか、金がなくてソープに沈むしかないということよりも、大きすぎて気づけないほど巨大な波に乗り出してる気分だった。 「だったら、百万、もらうしかないよね」  腹を括りなおすと、メモ帳とペン、スマホを枕元に置いて布団にもぐり込んだ。垂れ下がっている蛍光灯の紐を引っ張って切る。 (明日は足で稼ぐしかないか。まずは奥さんとのことだな)  まぶたを落とした珠里は疲れもあってかすぐさま眠りへと落ちていった。

 

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