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ミステリー・サスペンス・ハードボイルド

卵と探偵

   

 

☆☆☆

 
 センセーが住んでるだろうフェリチータのご近所巡りで一番困ったのは身分を証明する物がなにもないということだった。これでは人の口は開けない。考えた末に、珠里は【私立探偵 前園珠里】という名刺を簡易プリントで作って持ち歩くことにした。携帯番号と住所も載せてあるから浮気調査とでも言っておけば、たいがいの口さがのない人間からは情報を聞き出せる。今どき、安心を装ったインターネット業者や水道局の方がよほど怪しくうつる。私立探偵だったら、怪しさは飛び抜けているので振り切れると踏んだ。
 スニーカーはそのままでよかったが、パーカーにジーンズでは信用が足らない。思い切って九千八百円のリクルートスーツを買って聞き込みをすることにした。形状記憶のブラウスが二枚とバッグ、黒いパンプスつきだ。
 きちんとした身なり。そして名刺。
 すると恐ろしいほど人の口は軽くなる。
 誰それの奥さんがパート先の使い込みをしてるかだの、金もないのにお受験をするからむかつくだのと言った雑多な情報が繁華街の隅っこにあるフェリチータを抜け、近辺の住宅街を歩くたびに聞こえてきた。
 ほとんどは意味のないものだったが、珠里は百万のために我慢して聞き続けた。
 足を棒にするというのを身を持って経験していた珠里が、日暮れ間近で今日最後と決めた家のインターホンを鳴らす。作り笑顔で事情を説明すると甲高い女性の声が、心底驚いたというように珠里に尋ね返した。
「野尻さん? ああ、あの作家先生の」
「ええ。その野尻さんの奥様の死亡原因が違うのではないかと旦那様の野尻さんからご依頼を受けまして」
「だってもうずいぶん前よ。探偵じゃなくて病院の調査員が来るんじゃないの?」
 ここで引き下がるわけにはいかない。
 珠里は粘った。
「本来はそうなんですが野尻さんが病院は信用できないと私と契約を結んでいて、こちらに振られまして」
 困ってるんです、助けてください。
 そんな雰囲気を出すと、チワワを抱えた五十代とおぼしき女性が出てきた。洋服を着せられたチワワがぎゃんぎゃん吠えている。
 それでも笑顔を崩さず名刺を渡し、メモ帳を広げて待っているとおばさんは大変ねえと言う。だが、いかにも面白そうと顔に書いてあった。
「野尻さんの奥様は肺炎で亡くなられたとのことですが……」
「そうなのよぉ。旦那さんが仕事仕事でね。あ、奥さんもやってたみたいね、仕事」
(そりゃ初耳だ)
 すかさずメモを取る。
「パートかなにかですか? 野尻さんは作家で羽振りがよかったときいてますが」
 それが違うみたいなの! と、おばさんは手を振った。
 どうして年を取るとみなオーバーリアクションになるのか。
「家で仕事してたみたいよ」
「家で? 野尻さんの秘書みたいな?」
「どうなのかしら?」
(取っ組み合いの喧嘩してるって美沙が言ってた。で、家で仕事ってことは同業者?)
 すかさずメモを取る。
「ご夫婦揃ってあまり家から出ない人たちだったから。家はこの裏手のマンションなんだけどね、ときどき表にまで聞こえるほど大きな声で言い争いしてたわよ」
 そのマンションとやらを見てみるが、どう見ても鉄筋三階建てのアパートだ。あそこにセンセーは住んでいるらしい。フェリチータからも近い。これで徒歩で来る理由が分かった。
「その喧嘩って言うのは……」
「仲が悪いって言うんじゃなかったわね。だいたい仕事のことじゃなかったかしら。タイトルとかコーセーとか喚いてたわ。よく分からないけど」
(真季子さんは先生の作品に口出ししてたってことか……)
 そのときふと、センセーが言った「辻野美樹は私の命」という言葉が浮かんだ。
「そうそう。人の出入りは激しかったわねえ。大勢の人が昼も夜も関係なく出入りしてたわ。今じゃ、全然人なんかこないけど」
(よく見てんなぁ、このおばさん)
 思ったがもちろん顔には出さない。
「ということは、奥様がいらっしゃったときには昼間も仕事なさってたってことでしょうか」
「そりゃあそうでしょうよ」
 女性の目が胡散臭さを増す。
 珠里の脳裏にクエスチョンマークが山のように浮かんだ。
(真季子さんはセンセーの仕事に口出しで喧嘩。どう考えても同業者だよね? でも真季子さんは作家してるなんて美沙、話してなかった。家から出ない仕事で、センセーに口出しして、昼間も仕事っていったらそれこそ作家だろうけど……)
 珠里の困惑を読み取ったおばさんの目がきらりと光る。
「というかあなた、野尻さんから信用されてないんじゃない? そんなことまで調べないと分からないの? 教えてもらってないの?」
(きたっ!)
 珠里はとっておきの困った笑みを見せた。ほかでも散々言われてて、すでに慣れているのだ。
「実は野尻さんは秘密主義で、なかなか教えてもらえなくて。さっきも追い返されちゃいました」
「当然でしょ。今の時間なら仕事してるわよ。呼び鈴鳴らしたって出てこないから」
(えっ! 仕事って……書いてるってこと? それとも別のこと? 収入ってそれ?)
 はははそうですかと苦笑しながら、内心の冷や汗を押し隠していると、おばさんはふんと鼻を鳴らして戻っていった。
 チワワ女性の自宅を辞し、カフェで一杯百円のホットコーヒーを飲みながら、充電器に繋いだスマホで野尻真季子のことを検索するもヒットせず。
(うーん。ますます分からん。でも先生は仕事をしているってことは間違いないんだろう。でも、なんの? 原稿は書いてないって話だったし……)
 珠里には分からないことだらけだった。

 

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