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ミステリー・サスペンス・ハードボイルド

卵と探偵

   

 

☆☆☆

 
 その夜、そもそも自炊したことのない珠里はフェリチータのドアをくぐった。
「まあ、なにその格好。ケバい就活生ね」
 言ってカラカラと笑っていたアンナさんだったが、ふいに真面目な顔をした。
「そういえばセンセーが来ないのよ」
「だってまだ三、四日しか経ってないでしょ? 来ないなんて分からないじゃん」
「それがね、センセーから連絡があってキープボトル処分してくれって。もう行けないからって。──あんた飲む?」
「はあ?! あたしの百万は!?」
 エプロンの前で腕を組んだアンナさんは、肩を竦めた。
「騙されたってことなのかしら? でもそんなニュアンスはなかったわよ」
「冗談じゃないよぉ。ああー、あたしの百万が……ガチでソープ行きかぁ」
 意気消沈した珠里がカウンター席に座ると同時、美沙から着信があった。
『たっ! たたたたたたた大変っ!』
「なにがー? 野尻センセーもう店来ないって言われたよぉ?」
『せっ、センセーが新作出すって!』
 びくんと珠里の肩が跳ねた。端がへたってきたメモ帳を取り出すと、もどかしくペンのキャップを外す。
「どういうこと? それそっちの業界だけの話?」
 ううん、もう告知打った。ネットにも載ってると爆弾発言した。
「ちょっと待って。見てみる」
 通話を保留にするとネットに繋ぎ、ニュースサイトを開いた。
 NEWのコーナーに【辻野美樹 新作発表】とたしかにある。
(あのおばさん、仕事してるって言ってた。小説書いてたんだ! でも、そんな人が書けないって自分で言う?)
 気を取り直した珠里は、分からないことをまくし立てた。
「ねえ、おかしくない? 書かないだの書けないだのって言ってたよね? だってそれで探偵ごっこになったんだから。それで美沙、あんたにヨシキからみきの名を与えたわけじゃない? センセー変だよ」
『そうだね。変だよね』
 さきほどとは打って変わった美沙の落ち着きっぷりにピンときた。
「……あんたさ、なにか隠してるでしょ?」
『え?』
 電話口の美沙が息を呑んだ。
 言葉を放ち、珠里はようやっと気づいた。
 美沙に会ったときに引っかかっていたことが、ようやく分かったのだ。
「あんた弟子のとき、住み込みしてたんじゃない? そういう言い方した。取っ組み合いの喧嘩してたとか、夜中叩き起こしたとか、その場にいないと分からなくない? 今日近所のおばさんのところに行ってきたんだけど、言い争いとしか言わなかった。取っ組み合いの喧嘩なんて、そこにいないと分からないよね?」
 しばらく黙ったのち、美沙がたははと笑った。
『珠里ちゃんはやっぱり探偵だね。よくわかったね、そんなこと。僕は独り立ちするまでずっとセンセーのところでご厄介になってたの。お金がなかったからね』
「じゃあ真季子さんの職業知ってるんだね? 許されてないっていう理由も」
 しばらく躊躇ったのち、ぽつりぽつりこぼした。
『……後者については本当に知らない。でも、真季子さんはセンセーと一緒に、辻野美樹だったよ。だから辻野美樹の片割れはもういないの』
 スマホを握る手にじっとりと汗が滲んだ。美沙の声色が大切ななにかを諦めかけていたのだ。
『あのね、珠里ちゃん。僕は君が話しかけてきたときいい機会だと思ったんだ。センセーにまた書いてもらえるかもって。でもね、今、編集さんがみきの名前を使い続けてもいいか訊いてるんだけど、連絡取れない。僕も何度も電話してるけど、全然だめ。そういうこと絶対しない人だったのに』
 そのとき珠里の脳裏に甦ってきたのは、センセーがまとっていたあのなにかを燃やした臭いだった。
(あれ線香だ……もしかしてまだ、先生、奥さんの骨持ってるんじゃないの!?)
 突然思い至った考えに、ぞうっと鳥肌がたった。
「あたし、センセーのとこ行ってくる!」
『珠里ちゃん、もういいよ』
「なんで!?」
 電話口の美沙は、もういいんだよと苦しそうに繰り返した。
 そうしないと心を保っていられないというように。
『もうセンセーのこと放っておいて。調べてくれてありがとう』
「なにそれ。まだ終わりじゃないよ」
(やめてやめて。変なこと考えさせないで)
 珠里の脳裏をうわんうわん言葉が駆け巡る。
『あのね、センセーはもう終わりにするつもりだと思う。だから──』
「そんなの! 行ってみなきゃ分からないでしょ! あんた、弟子でしょ!」
 カチンときた。言わずに後悔するくらいなら、受ける後悔を払拭するために言った。
『……弟子だから師匠のこと、そう思ってるんだよ』
 もういいよ。ありがとう。
 美沙は繰り返す。
 そんな弟子に珠里は低く、脅すように言った。
「あたしは気に食わないんだよ。新作出して死ぬ? ユーシューノビってやつ? ふざけんじゃないよ。あたし巻き込んだこと後悔させてやる。──行ってくる」
 言い切ると、美沙が瞠目したように声を震わせた。
『……こんなこと僕が言えた義理じゃないけど、センセーのこと、お願いします』
「分かってるよ! あんたはなにか分かったら連絡よこしな!」
 ぶちっと切ると、リクルートスーツでフェリチータから駆けだした。

 

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