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ミステリー・サスペンス・ハードボイルド

卵と探偵

   

 

☆☆☆

 
「あのぅ、隣、空いてます? 友達と待ち合わせなんですけど、来られないって言われて」
 酒と料理が美味いと評判のバーフェリチータ。その隅のテーブル席。
 前園珠里は全身黒づくめの男にしなを作って話しかけた。春のまだ寒い晩だというのに珠里の細い肩は見せつけるように大きく露出し、派手なブラジャーのストラップが見えていた。むっちりとしたむき出しの太腿がホットパンツから伸びている。足下は高いヒールのサンダル。ぱしぱしとわざとらしくしばたたかせる睫毛は、人工的なぱっちりおめめを演出するための上下のつけまつげ。卵形の輪郭を包むシフォンボブは丁寧に巻かれて、きつくならない程度に口紅が引かれている。フェリチータに集った男女は、グラスを持たない珠里の魂胆が分かってにやにやしながら成り行きを見守っていた。
 彼女が引っかけた男は、いかにもうだつが上がらなそうで、冴えなかった。
 白髪交じりの髪はほうぼうに跳ね散らかってて、ほつれた黒いセーターは袖口や裾に毛玉がついて着古しているのが分かる。Vネックの襟元からはみ出したストライプシャツはアイロンをあてがっておらず、奇抜な具合にねじ曲がった襟元にソースが跳ね飛んで染みを作っていた。背を丸めてもそもそとスパゲティを食べている。年齢は五十に近いだろう。どこからどう見ても関わらない方がいい人物だ。
「あのう、いいですか?」
 珠里は男の返事を待たずに、がたついた椅子を引いて腰を下ろした。そして、さっと下から上まで男の身につけている物を見定め、ついでに尻ポケットに入っている二つ折りの財布からはみ出す欲しくてたまらない物を視界の隅に収めた。ミートソーススパゲティのソースを飛ばしながら口に運んでいる男の薬指に、結婚指輪はない。
(こりゃ上物だわ)
 珠里は内心舌舐めずりをした。
 男が身につけてるすべて有名ブランド物で、シャツ一枚がなんと四万円もする。
 手頃なところでホテルに連れ込んで彼氏に連絡、彼氏が入って威嚇すればあっさり財布を空にするだろう。
 だが、そんな考えをおくびにも出さず、珠里は作り笑いをし続ける。
 なにしろこのときの彼女は必死だった。
 家賃を四ヶ月も滞納し、追い出される寸前。最低限稼げる派遣の仕事には高校中退では引っかかることもなく、同居しているホストの彼氏はヤクザと関係がある。左手小指のリングは彼氏とお揃いだが、どうやらヤクザから端金をもらって買ってくれたらしい。そんなことしなくっていいから縁を切れと常々言っているのだが、一向に言うことをきかない。おまけに最近では他の女の影も見え隠れしてる。金が稼げるホステスもキャバ嬢もやったが、喧嘩っ早いのが災いしてクビになっている。
 にっちもさっちもいかず、結局、美人局などという犯罪に手を染めていた。
「あ、あたしもお酒飲もうっと。マスター、甘いのちょうだーい」
 珠里が声をあげて、カウンターに注文しても男はまったく食事の手を休めなかった。それどころか彼女がいることすら気づいていないように、フォークにパスタを巻きつけてはミートソースを飛ばしながらハムスターが餌を食べるように頬張っている。なんとも不味そうだった。
「あのう、お名前なんていうんですかぁ? あたしハタチなんですけど、何歳ですかぁ? 渋くてかっこいいですよねぇ」
「…………」

 

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