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ミステリー・サスペンス・ハードボイルド

卵と探偵

   

「……駄目だったの?」
「いや、新作の『卵』は無事に刊行になる。美沙くんにも連絡しないとだな」
「よかったじゃん! ……でも卵って、『The Egg』のことじゃないの?」
 喜んだ珠里だったが、センセーがロープに手をかけたので腰を浮かせて足下に縋りついた。
「駄目っ!」
「大丈夫だ。死なない。没だったら死のうと思っていたんだが、君と出版社のおかげで気が削がれた。──正直、君はたどり着けないだろうと思っていた。だから百万をフェリチータのマスターに渡してそれで終わりにしようと思っていた」
 離してくれとセンセーが言うので、渋々腕をほどくとよいせと彼は年寄り臭く腰を下ろした。ぺろりと皺だらけの手で顔を拭い、やれやれと溜息をついた。
 今度は犯人役──センセーの番だった。
「今度は私の番だな。君の推理が当たっているか外れているか私には分からないが、私も真季子の言葉はそうだと考えていた。君の最初の推理どおり、私は入院した真季子に許さないと言われて、書くことを許されていないと思い、一時期書けなくなった。辻野美樹名義も真季子と二人で築き上げてきたものだ。最初は美沙くんが影武者としてやっていたが、彼の得意ジャンルは私たちとは違う」
 釣り下がったままの間抜けなロープを見つめながら、センセーは溜息をついた。
「私……いや、真季子もだな、書くことに取り憑かれている人間だった。朝起きて朝飯の前に原稿。昼を抜かして夜まで書いて、夕飯を食ったらまた原稿。取っ組み合いの喧嘩をすることも結構あったね。意見が衝突すると、どっちも執筆に関しては気が強かったから。それで真季子の肺炎が悪化してるのに気づかなかった。彼女が許さないというのも分かる。私は彼女より、原稿を優先していた。恨んでいたんだろう。……でも私は、どうしても、書くことを辞められなかった。真季子と同じく書くことを愛している。辻野美樹の名のようにね」
 珠里の脳裏に、突然あることが浮かんだ。
「あのさ……違うよ、それ。そうだよ!」
「なにがだ?」
 言い出すと、珠里の考えが一気に飛躍して正解と思しき着地点に達した。
「センセーそれってさ、違うんだ。さっきあたしが言ったことは全部間違ってる。ええっと、だから、書くことを許さないんじゃないよ。書かないことを許さないってことだよ!」
「……なんだって?」
 センセーの怪訝な顔に、あのさ、ほら……と身振り手振りを交えて珠里は伝えた。
 伝われ、伝われと念じながら。
「そこまで書くことに取り憑かれてる人が、書かないことを許さないって一番の罰だけど、それってありえなくない? だって仲良かったんでしょ? 美沙が言ってたよ。それにさっき愛してるって言ったし」
「しかし、しかしだな。肺炎の悪化に気づけなかったのは私の責任だ……」
 しどろもどろになったセンセーは、なんとかして珠里の間違った推理を採用しようと躍起になった。そうしないと六年も誤って持ち続けてきた自分の考えに押し潰されるからだった。
 その思いを、ぺりっと珠里ははがした。
「違うよ。本人の責任だよ。てか、気づかないってお互い様でしょ? 編集さんからも言われてたと思うよ。それに、きっと真季子さん気づいていた。本人が一番分かるんだから。それでも押しちゃったのは、なにか……」
 あっと声を上げた。気づかないふりをしていたセンセーもようやく認め、じわりと滲《にじ》んだ涙を引っ込めようとするように目を何度もしばたたかせた。

 

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