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ミステリー・サスペンス・ハードボイルド

卵と探偵

   

「……『The Egg』を書いてたんだよね。二人で。そんなになっても真季子さんは、センセーに最後まで書かせたかったんだよ。──許さないってのは、書き続けろってことだよ」
 これが事の真相だった。
 うっと呻いたセンセーが、大きなしわくちゃの手で頭を覆ってすすり泣いた。六年もの間、間違った呪いをかけられた作家が哀れだった。あまつさえ、作家は間違った呪いのせいで、書き終わったら死のうと考えていたのだ。胸がいっぱいになった珠里の目にもふっくらと涙が浮かぶ。唇を噛んで、なんとかやり過ごそうとしたが、ぽろりと一筋こぼれた。
「センセー、よかったね、死ななくて」
「『卵』は……真季子と二人で『The Egg』の続編にしようとしていたんだ。割れてしまった卵が元に戻る話を書こうと……」
 『The Egg』の表紙の卵はぎざぎざに割れていた。そのひび割れが戻る話というのは、きっと優しい話なのだろうと珠里は思った。
 わんわんとむせび泣くセンセーがいつもの葬式めいた服装ではなく茶色のカーディガンとジーンズであることに今さらながらに気づいた珠里は、座ったままにじりよった。
「センセー、こんなことしたのは、もしかして自分に罰をくれる人間が欲しかったの? だからこんな探偵ごっこ、あたしにさせたの?」
 大きく肩で息をし、親指で最後の涙を拭ったセンセーが顔を上げた。
「かもしれないな。実際、自分でもよく分かっていない」
 重荷を解き放ったセンセーは一回り小さくなっていた。
「フェリチータでずうっとやってたの?」
 あそこで夕飯をとるついでになと鼻を啜《すす》ったセンセーは言った。
 そして苦々しく笑った。
「だが、誰も私に目をつけなかった。小汚い格好をしておきながら、懐には金。危ないと踏んだか、気づかないか。だが、君は声をかけてきた。面白い子だと思ったよ」
 むっと口をひん曲げると、鼻声ながらセンセーが笑った。
 ごくごくふつうの、妻を亡くし、一仕事終えた男の笑い声だった。
「君は美人局をやってて、粘り強さがあると分かった。そこに目をつけた。それに何度振り払っても来そうだったからね。もしかしたら、私の気づかない私のことを探ってくれるかもしれないと思った」
「……なにそれ。あたしがセンセーに引っかけられたってこと?」
「そうなるな」
 よれよれになったリクルートスーツ姿の珠里は、仏頂面でふんと鼻を鳴らすとそっぽを向いた。
 センセーは鴨居のロープを外すと、ゴミ箱に捨ててしまった。
 そして改めて百万円を珠里に手渡した。
「いい探偵役だった。探偵はロジックがすべてだが、もしかしたら君のように心を推測することも必要なのかもしれないな。まだ名前を聞いてなかった。名は?」
「前園珠里だよ。野尻久志センセー。──報酬はありがたくもらっておく。面白かったよ」
 疲れたけどね。
 茶封筒に入った百万をもらった珠里は、今度こそバッグの中に収めた。
 珠里を上から下まで眺め回したセンセーは、珠里の肩をぽんと叩いて言った。
「しかし、前園くん。君はスーツが似合わないな。違うのにしなさい」
 珠里の顔が盛大に歪んだ。

 

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