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ミステリー・サスペンス・ハードボイルド

卵と探偵

   

 最後尾こちらの文句につられて列に並んだ珠里は、美人局までやったというのに内心びびっていた。
(……すげえ。みんなファンなんだ。にしても女しかいねえ……男ってセンセーくらいしか読まないんじゃない?)
「なに持って来たんですか?」
 突如後ろから話しかけられ、振り返った。ガーリーテイストの雑誌から切り取ってきたようなファッションの女性が首を傾げている。辺りを見渡せば、そんなファッションの女性ばっかりだった。グレーのパーカーとジーンズの珠里はさながら花畑に来たネズミのようだった。
「あ、えっと……これを」
 バッグから取り出した『The Egg』を見せると、女性はへえっと驚いて首を傾げた。動作がいちいち大げさだ。
「卵はみきファンはよくわかんないって言うんですけど面白いですか?」
 卵というのがこの本を指していることに気づくのに数秒かかり、さらに面白いかどうかを答えるのにたっぷり十秒はかかった。
「不思議な本、です。そこが好きなので」
 嘘である。
 面白いもなにも最後まで読み切っていないし、冒頭数ページで断念している。
 そっかぁと否定とも肯定とも取れない返事をした女性は、ふんふんと犬のように鼻をひくつかせイレギュラーな珠里のにおいを嗅いでいた。
「今のみきさんは恋愛物書いてるんですけど、昔は恋愛散文詩って呼ばれてたじゃないですか。その頃のみきさんはいっつも奥さんの真季子さんて人に献辞入れてたんですけど、今でもアレ誰って話になりますよねえ。今はもうしてないけど。みきさん彼氏いるし。誰か大事な人だったのかなあ。ねえどう思います?」
 女性の話がまったく分からない。だが、ひとつ分かったことがあって容量の少ない脳内メモに急いで書き込んだ。
「あ、みきさんて女、の人ですよね……。実は知り合いが、ヨシキって言ってて。ほら、美樹ってヨシキとも読めるじゃないですか」
「ああ、ヨシキ騒動ですよ」
「ヨシキ騒動?」
 ファンが血相を変えた。まあ、そんなことも知らないの!? 素人ね! とはっきり顔に書いてあったので、珠里は慌てて「サイン会も、辻野みきさんを知ったのもこの間で……すみません」と謝った。なぜ謝らなければならないのかは分からないが、ファンは怒らせると怖いのは事実だった。
「美しい樹ってミキともヨシキとも読めますよね? だから本当はヨシキって男なんじゃないかって前に騒がれたことがあるんですよ。でも、みきさんきっぱり否定して、美しい樹からみきに変更したんですよ。間違われるからってもう何年も前に。だから、ヨシキ騒動。あ、その卵、辻野ヨシキの方だからレアですよ。ネットだとプレミアついてる」
 女性はもうそういうものだと頭から信じ切っていて、疑っている素振りはなかった。
(ヨシキ騒動か。今はみきとひらがなで書いてあるけど昔は美樹だった……ふうん)
「あの、もうひとついいですか?」
「なんです?」
 きゃあっと静かな歓声が上がり、続いて拍手。辻野みきが入って来たのだ。後ろの女性も気になって仕方がないようで、返事も気がそぞろだった。
「みきさんサイン会いっぱいやってますけど、ヨシキ時代はどうだったんですか?」
 んー? と記憶をまさぐったファンは、「やってませんでしたよ。サイン本は置いてあったけど」と応じて、壇上の辻野みきに熱烈な視線を注いだ。
(顔出しなし、と)
 バッテリー切れになりそうなスマホではなく、持ち慣れないメモ用紙を取り出し手早く書きつけた。そして、『辻野みき ヨシキ騒動』で手早く調べる。ずらっと並んだ検索結果を表示させては切り替えを繰り返した。
 するすると、ときおりがたつきながら列は進んでいく。
 頑張ってくださいの黄色い声や応援してますの可愛い声のなかにあって、珠里は古本を抱えたままじっとスマホを見て、待っていた。
 これから尋ねることにらしくもなく心臓が高鳴っている。
 だがそれは緊張ではなく、昂揚の高鳴りだった。

 

-ミステリー・サスペンス・ハードボイルド
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