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ミステリー・サスペンス・ハードボイルド

卵と探偵

   

「次の方、どうぞ」
 係となった書店員が促す。
 辻野みきと視線が合う。アーモンド型の大きな目が、珠里の持った『The Egg』に引きつけられている。
「最近本を読んでファンになりました」
「ありがとうございます」
 辻野みきは、スレンダーな楚々とした品のいい女性だった。長い黒髪を額で真ん中に分け、後ろでゆんわりとくくっている。春に相応しいたっぷりしたニットドレスにレギンス。耳にはピアスもイヤリングもなかったが、サインをするための万年筆を握る指には指輪と桜色のネイルがしてあった。年齢はプロフィールによると二十七歳らしい。
(したたかそうな女だな。芯が強そう)
 美人局をしていた珠里の職業人としての勘が告げていた。激戦の出版業界で生き残っているだけあって、しなりのある枝をイメージさせた。
「あのう、先生。ちょっと訊きたいんですけど」
 珠里が並んだのは列の最後尾近くだったらしい。後ろに何人も残っていないのをいいことにこれ幸いと切り出した。
「なんですか?」
 辻野みきはあくまでも穏やかだ。
「先生の本を男の人が読むのって珍しいですよね? 実は、その本──卵ですけど、知り合いの男性に読めと言われて読んだんです」
「たしかに男性の方が読まれるのは珍しいかもしれませんね。ご覧のとおり、女性の読者さんが多いですから」
 辻野みきは少しだけ首を傾げた。
 やんわりと、あなたなに言いたいの? と言外《げんがい》に言っている。
 珠里は唇を舐めると、ずばり切り出した。
「実はその知り合いが言ってたんです。──ヨシキを返してくれと。これは遺作だからって。知り合いの名前はご存じですね」
 さっと辻野みきの顔色が怒りに変わり、珠里を睨みつけた。
 それでビクビクするような珠里ではない。負けず劣らず真っ向から睨み返す。
 異変に気づいた書店員が、止めに入ろうとしたが辻野みきが片手で制した。
 サインをせず本を閉じると、短く、端からわからないほどかすかに息をついた。
「ノジリさんと会ったんですか」
「ええ」
 ノジリというのがあのセンセーと呼ばれている男だと分かった。
 ついにバッテリーが切れたスマホで見られた情報には、辻野美樹は男であるという情報が多かった。ネットにはそれまでの恋愛散文詩と呼ばれた難解な路線から一気に分かりやすい女性向け恋愛小説に変更したことが書かれていた。作風もがらりと変え、それまでいたファンを根こそぎ切り捨てている。表だっては出版社の意向となっているらしい。
 下火になりつつもヨシキ騒動は未だに根強く残っている。
 根拠のない誹謗中傷ではないのだ。ヨシキファン自身が検証して、作風の明らかな違いを指摘している。それが珠里が声をかける決定打となった。
「この後、時間ありますか?」
「え? はい……」
「では、終わったらそこの入り口で待っていてください。──次の方、どうぞ」
 珠里はサインをしてもらえず、『The Egg』を突っ返される。さっさと消えろとばかりに再度どうぞ、と後ろのファンが促される。ガーリーテイストファンに睨まれながらすごすご壇上から降りた。そのまま入り口に向う。
(スマホのバッテリー買おう)
 残りのファンが辻野みきにサインと握手をしてもらってわいわいやっている間、場違いにそんなことを考えていた。

 

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