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ショート・ショート

ユニフォーム・バリュー

   

西崎 和博は二十五歳。大学まで野球をやっていたが、腰と肩を壊して辞めてしまい、今ではフリーター生活である。

しかし、ずっと部活一筋でやってきたので事務や専門作業のノウハウがなく、職場ではまったく満足のいく仕事ができていない。

日本一の選手とはいかずとも、今一度実力が発揮できる機会があれば見返してやれるのにと思っても、故障があり、ブランクもあるのでは第一線への復帰はできそうになかった。

そんなある日、西崎は就活パーティで紳士に話しかけられる。逞しい体つきをした紳士は、西崎の事を良く知っており、現状に心底同情してくれただけでなく、野球選手として入社してくれないかと言ってきた……

 

「おおい、西崎。まだ仕上がらないのか」
 外回りから帰ってきた左澤が強い声を出した。
 どうやら飛び込み営業がうまくいかなかったらしい。
 名指しされた西崎 和博は、百八十五センチの肉体をびくりと震わせて顔を上げた。
「すっ、すみません。もうちょっと……。端数が多いんで手間がかかっちゃって」
「おいおい、頼むぜマジでよ。せっかく仕事になっても、書類ってやつがなけりゃあ結果にならんのだぜ」
 左澤は怒りと失望を隠さなかった。
 ばしんと机を強く叩くように、ポケットに入っていた粒ガムを西崎に突き付け、「ほら、土産だよ」と圧力をかける。
 ガムと言うか菓子類全般が苦手な西崎だが、威圧的な「配慮」に深々と頭を下げ、すぐさまガムを口内に放り込んだ。
「ふん、やっぱりお前は気楽だよな。大学のスターだか何だか知らねえが、外回りにも出ないで、冷房の効いた中ノンビリタイプしてりゃあいいんだからな」
 西崎は、ごく静かにガムを噛みながら、左澤のいびりに耐えていた。
 ガムを噛まないと「俺のプレゼントに文句があるのか」と言われ、クチャクチャやり過ぎると「うるせえ!」とどやされるからだ。
 要するに、左澤がいびる理由を立てるためによこしてきたガムということになるのだが、そうした罠をやり過ごせるほどに、西崎は環境に順応していた。
「すみません、先輩」
 西崎はガムの味がしなくなるまで噛んでから、慎重にそれを吐き出し、再び頭を下げた。
 左澤はやや興味が削がれたというように鼻から息をして、自分の席に戻っていった。
「ま、色々言うこともねえか。どうせ来月までで『戦力外』だろう。いくら社長のお気に入りつっても、一件も契約が取れねえんじゃな」
 聞こえよがしの左澤の声に、同室する何人かが賛同するような雰囲気を出していた。実際、社内での西崎の実績は芳しくない。
 社長に拾われる形で中途で入ったのはいいものの、脚の古傷が原因で外回りはできず、慣れない事務作業でも失敗の連続だった。
 元々、大学を出る時までパソコンはおろか、携帯を扱ったこともない人間にいきなりパソコンを使って書類を作れということ自体が無理な相談ではある。
 とは言え、結果は結果だ。期待されたレベルの事が一切できないと分かった以上、会社は残すという判断をしないだろう。
(ううむ……)
 慣れないタイプ作業を続けながら、西崎は心中で唸っていた。
 ちょうど四半世紀、二十五年間人生を過ごしてきて、ここまで自分への評価が下がることなど想像すらしていなかった。
 幼い頃は、かけっこや野球遊びでなら誰にも決して引けを取ることはなく、常に仲間が集まってきた。
 小学校からは本格的に野球を始めたがそこでも結果を出し続けた。
 甲子園にも出たし、しかもエースで四番だったから、周囲からの注目と評価はさらに高まった。高校もそうだったが、大学も野球で入った。
 入った名門大学でも花形選手として注目され、日本選手権にも出た。
 順調に行っていれば、ドラフトにかかって今頃、毎日のようにテレビに出る身分だったかも知れない。
 だが、大学最後のシーズンで、結果を出すために他の部員の倍、練習し続けたのがまずかった。
 三日後に大学選手権が始まるという時に投球動作中にアキレス腱を切ってしまい、激痛で倒れ込んだ時に右肩の筋も潰してしまった。
 これで、ドラフト指名の話はなくなった。
 細かな故障や疲労の蓄積もあり、完全に日常生活が送れるようになるまでに一年近くかかり、治ってからもかつての駿足やパワーは戻らなかった。
 つまり、三拍子揃った大学の花形選手だった西崎の足と強肩は、競技レベルの場ではまったく論外の状態になってしまったのである。
 こうなるとプロ入りは絶望的だし、卒業してすぐに野球で一流企業に入るというのも難しい。
 実績、体を治した西崎に声を掛けてくるチームはなく、となると生きるために一般の職場を探さなければならないが、これが難しかった。
 西崎は、小学校に上がる前から自分の目標をプロ野球選手のみに定め、脇目もふらず努力してきた。
 だからこそ仲間が高校の部活を引退してバイト先で青春を謳歌したり、大学のオフシーズンに学費を稼いでいた時も猛練習で実力をつけて差をつけることができたのだが、逆に言えば、ただ一日の就労経験も学習の積み重ねもなく社会に出ることになってしまったということになる。
 また、彼の家は厳格で、不必要なゲームに関わっていたりトラブルの元になるからと、成人になるまで携帯やパソコンといった機器の所有や利用を禁じられていた。
 真面目で硬いところがある西崎は、大学を出るまでその家訓を通していたので、パソコンでオフィス用のソフトを操ることはもちろん、スマホの画面をタッチして操作した経験もなかった。
 さらに言えば、故障の影響でフルパワーを出すのも心理的にためらわれる状況である。
 となると、一般的な仕事で力を発揮できないのも当然で、野球好きということで採用してくれた社長も、さすがに持て余し気味である。
 そしてこの会社は、プロ野球のような年ごとの契約になっているわけで、左澤の言う通り、早晩「戦力外」宣告は避けられそうもなかった。
(野球大会でもあればな……)
 報告書と格闘している西崎の脳裏に去来するのは、学生の頃のハイライトだった。
 何をしていても常に人が集まり、努力をしただけ結果を出すことができた。
 今更振り返ってもどうにもならないが、なかなか仕上がらない書類の山という現実から心が離れるのを止めるのは難しい。
「ああ、もうちょっとしっかりしてくれりゃあ、俺たち営業も楽ができるんだけどよお」
 左澤の聞こえよがしのぼやきに、西崎は瞬間、顔をうつむけて感情を抑えた。

 

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