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依子の本気汁 5 完

   

 本田。物事をタダで教われるなんて思うな。自分が傷付くことなしに学べることなんて無いんだ。

 だから、……傷付くのを恐れていちゃ駄目なんだ。

 

 
 記事が出てから、僕は教壇に立っていない。当然だ。教師の皮を被った変態男に、授業など任せられるだろうか。それでも僕は、学校を去るに当たって生徒に最後の挨拶をしたかった。学校側として、そんなことを許すいかなる理由もないのは分かっていた。

「あなたの判断に任せるよ」

 校長はそう言ってくれたが、人の好意に素直に甘えられないのは僕の悪い癖でもある。だからつい、「後任の先生も同席してもらいましょうか」などと可愛げのないことを口にしてしまう。校長が「そりゃ必要ないだろう」と答えてくれたのは、ありがたいことだった。

 僕は2年B組の教室に入った。10年ぶりのような気分で教壇に立ってみると、相変わらず以前のままの生徒がそこにいる。しかし、僕が姿を現すと聞いたせいか空席が目立ち、それも全部、女子の席だった。本田依子と高橋、前川の姿も無かった。

 三人がどこかで対峙している場面が頭に浮かび、「まずいな」と感じた。するとたちまち、頭の中で誰かが冷笑する。

 今のお前に、そんなことを気に病むどんな理由がある?

「みんな」

 声がこわばった。

「結果的に僕の行動でみんなに迷惑を掛けたことを、この場で深くお詫びします。それから、もう知っている通り、今日でお別れです。本当に残念です。でも、僕としては他に方法が無かった。もっとうまいやり方があったかもしれないが、これが一番だと思ったんだ。だから」

 うまい言葉を探そうとして、焦りばかりが空回りする。何を言ったところでみじめなのは分かっているのに、僕はまだ教師のポーズに固執していた。

「……反面教師っていうのも、教師には違いないからね。皆さんはきっと、僕よりうまくやれると思う。皆さんももうじき3年だし、受験が大変だけど頑張ってください」

 謝罪の意味を込め、深々と頭を下げた。姿勢を正した時、学級委員の松浦美央が立ち上がった。

「先生、お渡しする物が」

 松浦は、手に色紙を持って教壇に近づいてきた。寄せ書きの類らしい。やはり生徒に気を遣わせてしまったと悔やまれたが、心のどこかで期待していたのも否めない。

 僕を中心にした同心円状の寄せ書きには、熱い言葉が並んでいた。「先生を信じる」「最高にカッコイイぜ!」「頑張ってください!」──。ただし、本田、高橋、前川の名は無い。もちろん、それは当たり前だ。

 僕の前に立った松浦の目は赤く充血していた。

「このまま先生が来なかったら、郵送しようってみんなで決めてたんです。ほんとに、何のお役にも立てなくて」
「とんでもない。君には一番迷惑をかけてしまった。結果的に変なことになったけど、君の尽力には本当に感謝している」

 松浦が差し出した右手を、僕は一瞬ためらってから握り返して頭を下げた。

「頑張ってください先生」
「ありがとう」

 背を向けた松浦がハンカチを取り出すのを目にして、改めて自分の愚かさを呪った。そして松浦が席に戻った後、もはや言葉を発する生徒はいない。卑怯な僕は彼ら一人一人の顔を正視する勇気が無かった。

 潮時が来ていた。教壇を下り、寄せ書きの色紙を掲げてもう一度「ありがとう」と言ってから、その場を後にした。

 背後で、まばらな拍手が上がった。
 
 

 私物で膨れ上がったバックパックを肩に校舎の玄関を出て、空を見上げる。

 どんよりした年の瀬の曇り空から、冷たく細かい雨が落ちてきていた。僕は今日限りで持ち帰る置き傘を開き、氷雨の中へ足を踏み出した。生徒から贈られた色紙は、濡れないようビニールの袋に入れ、胸に抱いた。

 最初、足は自然に裏門の方へ向かったが、無理にでも校庭の先にある正門を出ようと決心した。

 雨のせいか、校庭に生徒や職員の姿は無い。僕は幾分体育館寄りに校庭の中央を迂回して、ぬかるみの中を歩いた。体育館からは聞き慣れた生徒の掛け声と、室内履きのゴム底が床を擦る音が響いてきて、やりきれなさを倍増させる。

 そんな悩ましい音の中、不意に違うものがかすかに混じって、背後に近づいてきた。
 

 誰かが、泥濘を跳ね散らしながら駆けてくるらしい。

 とっさに脳裏に浮かぶのは、傘も差さず駆け寄る泣き顔の少女という、どこかで見たような安っぽいイメージ。ついさっき教室であれほど生徒に元気付けられていながら、この上まだ慰めに縋り付こうというのか。未練がましい心を無理矢理引きずる思いで、僕は校庭のぬかるみに重い足を運び続けた。

 そして僕の知らない誰かがさっさと横を駆け去ってくれればいいと願った。
 

 

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