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家元 第一部 志げ(前編)

   

もう相当な昔のことだが、明治、大正期に渡り、関西では京都の井上流、大阪の山村流、吉村流、楳茂都流が上方舞四流派として隆盛を誇っていた。

明治21年(1888)、能役者だった苑田仙太郎は「苑田流稽古場」と看板を掲げた。

流派の盛衰は色々な原因があるが、その中心である家元に起因することが多い。

明治から平成まで続く苑田流が、家元をどのように育て、継承してきたか、トラブルは無かったのか?

まずは、開祖の仙太郎から孫娘の苑田志げ、後の苑田志乃への継承について見てみよう。

 

 
誕生
 

もう相当な昔のことだが、明治、大正期に渡り、関西では京都の井上流、大阪の山村流、吉村流、楳茂都流が上方舞四流派として隆盛を誇っていた。

苑田はこれらには及ばないものの、能役者だった苑田仙太郎が自宅で芸妓や舞妓に能の舞の所作を教えたのが始まりで、妻で三味線の師匠でもある留の後押しで、明治21年(1888)に「苑田流稽古場」と看板を掲げた。
系譜的には井上流に近く、花柳界からの評価が高まり、軌道に乗りかけていた。

仙太郎と留の娘、濱子は流派を継ぐべく者ではあったが、踊りを始めたのが15歳と遅すぎた。真面目に稽古に励むが、頭で考えて踊るものだから、滑らかな動きができない。

名取とするか否かは家元が判断するものだが、周りからは「名取にしてもええ」と声は上らなかった。

濱子自身、そのことは十分に分っていた。苑田の家に生まれながらも、自分は家元を継ぐことが出来ない。ならばと、明治37年(1904)、濱子は父の仙太郎と同じ能役者を婿に取った。
そして、明治40年(1907)、待望の子供が生まれた。

「おなごどす。」
「そうか・・」

産屋としていた離れから出てきた産婆が家長の仙太郎に報告した。

「ようやった、濱子、ようやった!」

仙太郎の喜ぶ声は離れにも聞こえていた。

お産に付き添っていた母の留からも「よかったなあ。」と労われ、新たに母となった濱子はほっとしていた。

 

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