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倒れ受け

   

元々はワルだった工藤 一志。今は平凡な会社員という肩書きだったが、どの会社が倒産しそうかという点について誰よりも優れた情報を持っていた。

旧友である調査会社の不良社員を抱き込んで獲得したものだったが、企業間でも重要な「本気」の情報なだけに非公開レベルでの精度は極めて高いもので、工藤はそれを就職に使っていた。

しかし彼は、潰れそうな会社を避ける、のではなくむしろ逆に進んで入社していくのである。その理由とは……

 

「ああ、いやその話はまた後で。ちょうど今人が来ているもんですから……」
「社長ですか? ええ、社長は今外に出ていますが。出してくれ? いえすみません。携帯も忘れていってしまったらしくて」
 有限会社一竜製造商のオフィスに足を踏み入れた工藤 一志は、どことなく薄汚れた感のあるオフィスをさり気なく眺めて、わずかに口元を緩ませた。
 内勤の社員は五人。しかし誰もパソコンには向かっておらず電話で話をしている。それも世間話をしているような感じではなく、もっと深刻な様子が伝わってくる。
 場を仕切るべき社長らしき人物の姿はなく、代わりに年かさの作業着姿の男が、難しい顔で窓を眺めていた。
「すみません、おはようございます。私、採用のご連絡を頂いた、工藤と申す者ですが……」
 頃合いを見計らって工藤が声をかけると、作業着姿の男が立ち上がり、軽く頭を下げてから近付いてきた。
 笑顔を作ってはいるが、目までは笑えておらず、疲れた雰囲気をかき消せてもいない。
「ああ、こちらこそすまない。作業部長の一関です。兄貴、いや社長はちょっと出払っていましてね、挨拶もできず申し訳ない」
 彼が差し出してきた右手は、節くれだって固く、洗っても落ちないようなオイルや薬品の痕跡が色濃く染み付いていた。頼もしいが、オフィスでパソコンのキーを叩くには不似合いな手とも言える。
「工藤 一志です。今日から、と社長さんの方からお話をうかがったものですから……」
「今日から!? いえ、来月の初めからだったはず……。ちっ、今日は競輪の開催日だろうに、ごっちゃにしちまって……!」
 いかにも人の良さそうな一関が表情を歪め毒づいた。電話応対をしている女性社員たちが声の方を向いてあっという顔をした。
 すると一関も、自分の失言に気付いたらしく、慌てて笑顔を作り直し、ポケットからガムを差し出してきた。
「いやあすまない。どうもこちら側で手続きの相違があったようだ。となると、そうだな、今は研修ということで、簡単な仕事をしながら社の雰囲気に慣れて欲しい。ナリは小さいがベテラン揃いだからね、アットホームだし頼もしいんだよ」
「ありがとうございます。では、電話番でも……」
「い、いや、それはダメだっ」
 恐らく嘘がとてつもなく苦手らしい一関は、工藤の提案に対しかなり過剰に反応した。
「き、君にはまず、オフィスソフトを使って簡単な作業をして貰おう。見ての通り皆ちょっと手が離せないものでね。電話の応対はまたおいおい、ということでお願いできないかな。色々と込み入った話が多く、ベテランでないと対応が難しいんだ」
「もちろん、私はそれで大丈夫ですが、社長さんはいらっしゃいませんか。採用して下さったご挨拶をまずは、と考えているのですが……」
「ううむ、ちょっと彼は今外で大事な仕事をしているんだ。色々、そう営業、営業などをね。だからしばらくは戻って来られないし、気に病むことはないんだよ」
「了解致しました。それでは作業にかからせて頂きますっ」
 と、元気良く一関に応対した工藤だったが、彼の人並み外れて敏感な耳は、ようやく電話を済ませたらしい女性社員の一人が「博打場に営業先なんてないでしょ」とぼやいたのを聞き逃すことはなかった。

 

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