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歴史・時代

東京探偵小町 第七話「少年画伯」 <2>

   

「わしを殴るか。そしてその勢いで軍に談判に行って、永原くんのかたきを取らせろとでも言うつもりか」
「俺は!」

小説版『東京探偵小町
第二部 ―夜会編―

Illustration:Dite

 

「わごちゃんね、自分は探偵事務所の用心棒だったのに事件のときに何もできなかったって……それなのに、どうして誰も責めないんだって、急にそんなことを言い出して、勝手に怒り出したのよ」
「そうだったんですか…………」
 朱門の死によって、和豪はどこまで傷ついてしまったのだろう。倫太郎は、兄弟子としてもっと気遣ってやるべきだったと思いつつ、時枝の話に耳を傾けた。
「おかしいわよね。父さまを死なせたのは、わごちゃんじゃないわ。犯人よ。新橋事件の、あの恐ろしい犯人よ」
「でも、僕たちが先生を守り切れなかったのは事実です」
 そう言うと、倫太郎は急に時枝の前にひざまずき、驚く時枝の前で深く頭を垂れた。
「倫ちゃん、やだ、どうしたの?」
「あのとき、犯人が先生に襲いかかってきたとき、僕らは本当に何もできませんでした。先生を助けられなかったのは、僕らが力不足だったせいです。とても許してはもらえないでしょうが、どうか」
「違う! 違うわ!」
 時枝も慌てて床に膝をつくと、倫太郎の手を取った。
「あたしも、上海にいる母さまたちも、誰も倫ちゃんたちのせいだなんて思ってない。父さまが亡くなったのは、辛いし、悲しいことだけど……その気持ちはどうやっても全部は消えないけど、父さまはちゃんと犯人をやっつけたわ。自分のお仕事を果たしたのよ」
 時枝は倫太郎を見つめると、自分の心に言い聞かせるように言葉を継いだ。
「父さまが、いつも言っていたわ。もし、父さまの身に何かあっても、相手を恨んだり、憎んだりしてはいけないって。ひとを憎むのは、とても辛いことだから、そんな気持ちを抱いてはいけないって。ね、父さまらしいでしょ」
 父の教えを、頭ではきちんと理解できている時枝である。けれど、心のどこかには、まだ小さな反発が残っていた。父を殺めた犯人に対する怒りがすべて消えたと言えば、それは嘘になるのだ。時枝は懺悔をするかのように、倫太郎の胸にすがった。
「でもね、倫ちゃん。あたし、本当はね……本当の本当はね、良くわからないの。自信がないの。もしあの事件の犯人が生きていたら、あたし、どんなふうに思うかわからない。恨んだり、憎んだりするかもしれない」
「お嬢さん…………」
「わかってるの、頭のなかではわかってるのよ。父さまは、帝都を守って亡くなったわ。それはきっと、父さまにとって本望だった。だからあたしは、泣いたりしちゃいけないの。犯人のことだって、憎んだり、恨んだりなんかしちゃいけないのよ」
 口にすることで自分の気持ちをたしかなものにしていこうと、時枝が必死に言葉を紡ぐ。朱門の死が、それだけの負担を時枝に負わせているのだと思うと、倫太郎もやりきれなかった。
「あたしは父さまの娘なんだもの。永原朱門の娘なんだもの。ひとを恨んだり憎んだりしない、強い心を持たなくちゃいけないんだわ。そうしなくちゃいけないって、ちゃんとわかってるのに…………!」
 倫太郎は何も言わず、時枝の細い肩を抱き締めた。
 和豪の苦しみを前にして、時枝もまた、みずからが抱えている悲しみの揺り戻しに心を痛めているのだろう。それを癒すことはできなくても、せめて幾らかでも寄り添えるように、倫太郎も自分の気持ちを吐露した。
「僕も同じです、お嬢さん」
「倫ちゃんも?」
 こくりとうなずくと、倫太郎は時枝が落ち着くのを待って、静かに切り出した。

 

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