幻創文芸文庫 (β)

小説好きの創作小説を無料配信*スマホ対応

歴史・時代

東京探偵小町 第八話「月夜の宴」 <1>

   

「こちらは弟のリヒト輝彦だ。縁あって逸見家の養子になった者で、あの少年画伯と同じ中学に通っている」

小説版『東京探偵小町
第二部 ―夜会編―

Illustration:Dite

 

 暑さを助長するかのような蝉の鳴き声に、時枝がふうとため息をつく。紺地に白襟の半袖ワンピースにコンビの靴を履き、つば広の麦わら帽子を合わせた時枝は、入道雲の立ち上る夏空をちょっぴり恨めしく見上げた。
「今日は本当に暑いわね。そういえば、新聞に今年は十数年ぶりの酷暑だって書いてあったっけ」
 女学校のある日は着物に袴の時枝だが、休日になると、長い上海暮らしで着慣れた洋服で過ごすことも少なくない。松浦母娘の気遣いもあって、帰国当初よりは着物の枚数も増えた時枝だが、この夏は着物と洋服を半々に着ると決めたらしく、今日は洋装で出掛けてきたのだった。
「さーてと。今日こそ、あの生意気な男の子からハナちゃんを取り返さなくっちゃ!」
 時枝の日参作戦も、今日で二十回目を数える。猫を奪い返そうと躍起になる時枝も、口をきくどころか玄関に出てくることすらしない蒼馬も、もはや意地の張り合いになっていた。
 猫の居場所と前後のいきさつを聞いた倫太郎と和豪は、最初は正反対の意見をぶつけ合っていたものの、結局は倫太郎の呈する「子供の喧嘩に口は出さない」に落ち着いたらしく、今しばらく成り行きを見守ることに決めていた。
 そのかわり、みどりと春子が時枝の日参作戦に辛抱強く付き合っていたのだが、連日に及ぶ炎天下の外出にとうとう二人とも参ってしまい、最近は時枝が一人で森川町に通い詰めていた。
(あら? あれってたしか、青慧中学の制服だわ)
 小路を行き、蒼馬の住む下宿の目印にもなっている、大きな柳が見えはじめた頃。北辰館から出てきた二つの人影に、時枝がふと目を留めた。
 その良くも悪くも目立つ組み合わせは、時枝でなくとも、目を向けずにはいられなかっただろう。一人はしみひとつない白衣をまとい、黒縁の眼鏡をかけたかなり背の高い男で、もう一人は軍服を思わせるかっちりした制服に身を包んだ、時枝と同年齢くらいの赤毛の少年だった。
 しかも少年のほうは右目をどうかしたのか、そちらに布眼帯を巻いている。時枝が思わず足を止めて見つめていると、やがて長身の男が白衣を脱ぎ、少年に預けた。
(待って、お医者さまっていうことは……まさか!)
 蒼馬のかわりに仲良くなったトミからは、蒼馬が実は病身であることを聞かされている。殊に帝都の夏に弱く、何度訪ねても玄関にも出て来ないのは、機嫌だけでなく体調が優れないせいもあるのだった。
 男の白衣からすぐさま医者を連想し、もしや蒼馬に何かあったのかと、気づけば時枝は北辰館に向かって駆け出していた。
「あのっ、お医者さま!」
 時枝の声に気づき、男と少年が時枝のほうに目をやる。長身の男は少し驚いたような表情を見せ、次いで小さな笑みを浮かべた。
「もしかして、蒼馬くんに何か…………」
「これは驚いた。あの少年画伯が、まさか亡き永原探偵の令嬢と知り合いだったとは」

 

-歴史・時代

東京探偵小町 第八話「月夜の宴」< 第1話第2話第3話第4話

コメントを残す

おすすめ作品