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ハートフル

モモヨ文具店 開店中<34> ~直くんの独立 前編~

   

 
 背後の福永さん家は夜を迎えてもたいそう賑やかだった。
 夕食どきモモヨさんが店に顔を出し、「店、今日は閉めれば良かった。ごめんね」と謝ったので、自分の独立問題を棚に上げ、「大変ですね、これから」と口にしてしまうくらいには琉華とりいかという存在は直くんには異様に思えた。
「そうだねぇ。でもねえ、なーんとなくだけど、大丈夫かなぁって思ってんの。そこだけは根拠なき自信なのよ」
「そうなるといいですね」
 眉根が寄って苦笑してしまう。建前の、そうなるといいですねくらいしか言えないほど状況は悪いのだろうに、モモヨさんはどこ吹く風だった。
「直くんにもご飯持ってくるからね。ここで食べることになっちゃうけど。さすがに琉華ちゃんの猛攻を食らいたくないでしょうし」
「コンビニで弁当買いますから」
「何人分作ったって変わりないんだから食べて行ってよ」
 ぽんと肩を叩かれると、わかったねと言われるような気になった。
(あいつ、人たらしだから)
 ふいにずいぶん前に聞いた木佐木 夏子の言葉を思い出した。
(君も早く出て行った方がいいよ)
 たしかそんなことも言われた。
「モモヨさんは」
「うん?」
 台所に戻りかけているモモヨさんの髪が揺れる。
「必要だから僕を置いたんですか? それともモモヨさん一人だから置いたんですか?」
「必要だと思ってたけど、ずいぶんそれも変わっちゃった。直くんの独立、寂しいよ」
 モモヨさんの背が引き戸の向こうに消える。
(モモヨさんは、寂しいから自分を開くんだ)
 飛び出そうとする直くんをふくんだモモヨさんの囲いのなかは、いつでも平穏無事だろう。それがモモヨさんが自分という個を緩やかに大きく開いてまで他人を受け入れる理由なのだ。
 あの子どもたちは、ちゃんと立派に育つだろう。
 直くんもそう感じた。
 そして、木佐木 夏子のいう人たらしの囲いには果てがないこともわかった。モモヨ枠から出て行くことは、最悪の別離か、死しかない。直くんは考え違いをしていた。直くんは独立しても、なにをしても、永遠にモモヨさんという囲いのなかでは変わらず過ごす。以前の玉砕のときだって、モモヨさんは待ち続けた。それだけ自信があるのだ。
「人たらしの罠は怖いなぁ」
 りいかによって一品目が運ばれてきたのはそのときだった。
 

「珍しいところで食べてるねえ。なんかあったのかい?」
 久しく来ていなかったご隠居さんが足を引きずってやってきたのは、ふらつくりいかによって一品一品運ばれてきた夕飯の大半を食べた頃だった。
「すみません。ちょっとわけありで」
 片付けようとする直くんに、そのままでと手で示したご隠居さんは鉛筆の棚に向かうと赤鉛筆をごそっと、ある分だけ取って持ってきた。毎晩一本のルールが崩れたことに直くんは、ああ、終わると思った。ご隠居さんも直くんのなんとも言えない顔を見たようで、咳き込むように笑った。
「老人ホームに入ることになってね。足もめっきり悪くなってきたし、車に乗れないから不便も多い。娘と息子に諭されてね、良い機会かなと、こう、思うわけなんだ」
「いつ入居されるんですか?」
「明日。だから今日で、ここともお別れだ。先代からの長いつきあいだったから寂しいよ」
「モモヨさん、呼んできます」
「タカアキくんがいるんだろう? 声でわかる。そっとしておいてくれないかな」
 別れを惜しむご隠居さん自身が辛かったのだろう、最後の言葉はしずくが落ちるように静かに消えた。直くんは、一拍おいて「僕も年末に独立するんです」とだけ言った。
「二人そろってさようならか」
「モモヨさんがそんなことをすると思います?」
「思わん、思わん。モモヨちゃんはしぶといから」
 ご隠居さんは喉の奥で笑った。その拍子に盛大に咳き込んだ。
「あの子なら老人ホームでだって商売をするだろうさ。……本当はね、在庫あるだけもらっていこうと思ったんだが、今日はこれだけにしておくよ」
「またお目にかかれるときに赤鉛筆持って行きます。――お元気で」
「君もね。それから最近めっきり見ないナオちゃんにもね」
 不器用なウィンクをしてみせるとご隠居さんは足を引き引き去って行った。
 しんとした寂しさに身をゆだねながら、直くんははじまりのにおいのする夕飯を平らげた。

 

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